牛乳有害説
言説の一般的概念や通念の説明
語句説明
牛乳有害説とは、「牛乳は人の体に悪い」という基本的な考えのもと、牛乳が人の健康に与える影響(害)について主張する言説である。本項では、この牛乳有害説(牛乳有害論)について評定する。牛乳についての基本的な知識として、まず、以下に牛乳の組成成分について記載する1。
エネルギー 67㎉ | ナトリウム 41㎎ | タンパク質 3.3g |
マグネシウム 10㎎ | 脂質 3.8g | ビタミンA 39㎍ |
炭水化物 4.8g | カリウム 150㎎ | ビタミンC 1㎎ |
カルシウム 110㎎ | リン 9㎎ | コレステロール 12㎎ |
よく知られているように、牛乳の成分において一番に注目されるのはカルシウムである。カルシウムはヒトを含む動物や植物の代表的なミネラル(必須元素)であり、骨を構成する主成分である。ミネラルは人体で生成することができないため、生命維持のためには食品から摂取する必要があり、カルシウムはその中でも最も多く体内に存在し、ヒトの体重の1~2%を占めている2。
牛乳において強調されるのは、このカルシウムを効率よく取り入れることのできる食品だということであり、反対に牛乳有害説で唱えられているのは、カルシウムを摂取するのに牛乳は相応しい食品であるとは言えず、むしろ健康を悪化させるという主張である。
牛乳有害説の厳密な定義はないが、たとえば「牛乳を飲むと下痢をするため、消化吸収に優れず、かえって体調を悪化させる」や「牛乳を飲みすぎると骨粗鬆症になる」など3を有害説とみなすことができる。
本評定では、新谷弘実氏による著書『病気にならない生き方』にて謳われている主張を中心的に扱う。これは、新谷氏の著書が社会的に与えた影響4や、これが「牛乳有害説」が広く一般に知られることになった契機であるという推定に基づいている。また、データの観点(再現性)では、牛乳飲用における健康リスクのメタ分析研究の結果を中心に評価する。なお、本項の記述は牛乳アレルギーの問題を否定するものではない。
- 1:牛乳の組成(100g当たり)。「日本食品標準成分表2010」による。
- 2: 内、99%は歯と骨に、残り1%は血液や細胞外液などに存在する。
- 3:本項では主に、新谷弘実『病気にならない生き方~ミラクル・エンザイムが寿命を決める』サンマーク出版2005を取り上げる。
- 4:たとえば、J-CASTニュース「松嶋尚美の牛乳有害発言に批判相次ぐ。専門家も科学的根拠に基づかないとばっさり」;「中居正広のミになる図書館~知らなきゃ良かった!」などである。
評定早見表
効果の作用機序を説明する理論の観点
理論の論理性 E(低)
牛乳有害説を構成する主張の多くにおいて、消化吸収の問題を取り上げている。そこで、本項でもまず牛乳の消化吸収における問題、具体的には乳糖不耐症(ラクターゼ欠乏症lactase deficiency)を検討する。
日本人を含むアジア系の人種5には、遺伝的に乳糖6を分解する酵素(ラクターゼ7)が少なかったり、活性していなかったりする人が多い。こうした欠損が認められることを乳糖不耐症という。
乳糖とは、牛乳を含む「乳」の大部分を占める糖8であり、乳糖不耐症とはすなわち、この乳糖を上手に分解することができず、吸収不良を起こすことを指す。症状としては、牛乳などの「乳」を飲んだ後におこる下痢、腹痛、腹部膨満などが挙げられる。
この乳糖不耐症が、牛乳有害説を唱える根幹部分の考えとなっていることがうかがえる12。要するに、日本人の多くは乳糖を分解し吸収する能力が低いので、牛乳を飲んでも栄養素を取り込めず、しかも下痢などの症状をおこすため健康に悪影響を及ぼす、といった論理である。この論理はある程度筋が通っているようにも見えるものの疑問点もある。
まず指摘すべき点は、乳糖不耐症であるからといって栄養素を「まったく吸収できないわけではない」ということである。たとえば、カルシウムは主に小腸上部の十二指腸や空腸で吸収されるが、乳糖不耐症は小腸で吸収されなかった乳糖が大腸に移行して起こるものである。つまり、作用している体の器官がそれぞれで違うため、「栄養素が得られない」という牛乳有害説の主張が理論的な説明になっていないのである。
乳糖不耐症はカルシウムなどの栄養素の吸収を妨げているわけではなく、きちんと吸収されている。下痢=消化・吸収不良というイメージが直観的に想起され、確かにそうした意味もあるものの、少なくとも牛乳の場合、有害説を唱えるほど強力な根拠とはならないだろう。
続いて、主に新谷弘実氏によって提唱されている「牛乳を飲みすぎると骨粗鬆症になる」という主張を紹介する。新谷氏は自身の著書『病気にならない生き方』などにてこうした主張を展開しており、社会的にも大きな影響を与えている34。以下に、氏の主張の代表的な箇所を抜粋する9。
人間の血中カルシウム濃度は、通常九~一〇ミリグラム(一〇〇㏄中)と一定しています。ところが、牛乳を飲むと、血中カルシウム濃度は急激に上昇するそうです。そのため一見すると、カルシウムがより多く吸収されたように思いがちですが、この「血中濃度の上昇」こそが、悲劇をもたらすのです。
じつは急激にカルシウムの血中濃度が上がると、体は血中のカルシウム濃度をなんとか通常値に戻そうと恒常性コントロールが働き、血中余剰カルシウムを腎臓から尿に排出してしまうのです。つまり、カルシウムをとるために飲んだ牛乳のカルシウムは、かえって体内のカルシウム量を減らしてしまうという皮肉な結果を招くのです。
新谷氏が展開している理論には、少なくとも二点の疑問がある。
一点目は、なぜカルシウム量が「減るのか」という点である。確かに、身体の恒常性という意味において、消化・吸収された物質のうち不要なもの(余剰なもの)は排出される。しかし、それは体内組織のバランスを保つためであって、カルシウム量が「減る」という意味にはならない。
また、体内のカルシウムはホルモンやビタミンの働きによって交換され続けており、それによって濃度を一定に保っている。たとえ過剰にカルシウムを摂取したとしても(これ自体は褒められたことではないし、別の問題を生じさせる)、恒常性を一定に保つために余剰部分が排出されるだけであり、やはり「減る」という意味にはならないのである。
二点目は、「なぜ牛乳だけがダメなのか」という点である。新谷氏は、小魚や海藻類でカルシウムを補充することは奨励しているが、牛乳だけがダメだという説明としてはやや弱い。カルシウムの過剰摂取についてはたとえば腎臓結石や高カルシウム尿症のリスクが知られている5が、小魚や海藻類についても同じ理論が当てはまるため合理的な説明とはいえないことがうかがえる。
- 5:遺伝的な乳糖不耐症は、農耕民族であるアジア系人種に多く牧畜民族である北ヨーロッパ系人種に少ないことが示唆されている。ただし、この解釈には諸説がある。
- 6:乳糖は英語でラクトースという。「ラクト」はラテン語で「乳」を意味している。
- 7:ヒトを除くほとんどの動物では、出産直後にはラクターゼが存在するものの、その後消失する。ヒトでは多くの場合、ラクターゼの活性は生涯存在する。
- 8:一般に食品の糖質はデンプン、二糖類(ショ糖、乳糖)、グルコース(ブドウ糖)の形態で保有されている。
- 9:新谷弘実『病気にならない生き方』p73
理論の体系性 E(低)
牛乳有害説では多くの面において、既存の学術的知見と合致しない説明がある。乳糖不耐症については既に述べたが、ここでは特に、新谷弘実氏の言説に焦点を当て、その中でも「牛乳を飲みすぎると骨粗鬆症になる」といいう主張を中心的に取り上げる。これは、新谷氏の著書『病気にならない生き方』が、少なくとも日本における牛乳有害説の広まりの下支えとなったことが推定できるためである。
骨粗鬆症10とは、平易な言い方をすると「骨がもろくなり、骨折しやすくなる病気」である。骨の強さ(骨強度)は骨の量(骨密度)と骨の質(骨質)で決まり、骨粗鬆症とは、それらが悪くなった状態のことを指す。骨は通常、骨吸収と骨形成を繰り返している。古い骨を壊し新しい骨を作っているのであり、そのサイクルに支障をきたすと骨粗鬆症になる。
骨粗鬆症の危険因子の一つとしては、カルシウム摂取の不足が医学的に広く受け入れられている。一日の総カルシウム摂取量が400mg未満であると骨格に悪影響を及ぼすとされ、現在、(日本人の)成人においては一日に1000mg程度の摂取が推奨されている6。カルシウムを多く含む食品として牛乳、あるいは乳製品がそのための代表例として示されている。
繰り返しになるが、この骨粗鬆症について、新谷氏は牛乳の多飲が発症に影響を与えているという説を展開している。この言説の背景には「アメリカ、スウェーデン、デンマーク、フィンランドなどの酪農がさかんで牛乳を大量に飲んでいる国では骨粗鬆症が多い」という俗説があり、また、新谷氏がその科学的根拠としているのは「Milk, Dietary Calcium, and Bone Fracture in Women」D. Feskanich et al American J. Public Health,Vol. 87, 991~997 (1997)と、WHOによる「カルシウム・パラドックス11」に関するレポートである。
しかし、前者の論文は牛乳多飲によって骨粗鬆症の予防効果はなかったとしているだけのものであり、牛乳が発症に影響を及ぼすという因果関係を述べたものではなく、有害であるという言説を裏付けるものでもない。また、後者のWHOのレポートに関しては、そもそも牛乳の多飲について触れていないのである。
このように、少なくとも牛乳多飲が骨粗鬆症発症に影響を与えるという言説は整合的とはいえないと評定する。
- 10:女性ホルモンが骨の新陳代謝に関わっているとされるため、一般に、骨粗鬆症患者には女性が多い。
- 11:カルシウム・パラドックスとは、カルシウムの摂取量が多い国ではかえって骨折が多いという現象のことである。ただし、カルシウム摂取量との因果関係はまだわかっておらず、WHOはこの原因解明の必要性について指摘している。
理論の普遍性 E(低)
ヒトにとって牛乳が有害であるという言説が支持されるならば、非常に普遍性の高い理論であるといえる。しかし、現在のところ牛乳有害説は、言説の内部的(論理性)にも外部的(体系性)にも理論的に多くの矛盾がみられ、普遍性を装っていることが推察される。
ただし、牛乳有害説が普遍性を装う背景には「牛乳には栄養素が豊富にあるため、牛乳さえ飲んでいればよい」という牛乳神話が広く受け入れられすぎているという社会状況にある7。つまり、牛乳がいわゆる「完全食品」であるという通念に対する疑義の面も多少なりとも見受けることができ、この点に関しての議論は今後必要となるかもしれない。
実証的効果を示すデータの観点
データの再現性 D(低~中)
本評定では、牛乳飲用における健康リスクに関するメタ分析研究の結果に基づいて評価する。今回は、医学、生命科学分野に強い検索エンジンであるPubMedを用いて調査した。2018年9月22日時点において検索該当した52件の文献のうち、タイトルおよびAbstractを閲覧して無関係と判断した文献(N=18)と、全文閲覧して無関係と判断した文献(N=10)を除いた24件を評価した89
1011
1213
1415
1617
1819
2021
2223
2425
2627
2829
3031。これら24件のおおまかな概要は下表2に示す通りである。なお、メタ分析の基データの多くは症例対照研究やコホート研究に基づく疫学的な知見である。表内のRRはリスク比を、ORはオッズ比を、95%Clは95%信頼区間うをそれぞれ表している。
表2 牛乳リスクに関するメタ分析研究(発表年順)
牛乳摂取における健康リスクについて、統計的に有意な差があり、かつ他の結果とも一貫しているデータをまとめると次のことがいえる。
リスク増加: 前立腺がん(IGF-Iレベル含む)101416 パーキンソン病23
リスク減少: 大腸がん111522 糖尿病1521 高血圧1520
まず、前立腺がんリスクがわずかに増加するとの結果がある。たとえば、Qinら(2007)のメタ分析では、牛乳、乳製品を日常的に摂取しているグループの方が、そうでないグループよりも前立腺がんリスクが高いことを示している(リスク比1.10,95%信頼区間[1.01,1.21])。また、前立腺がんのリスク因子として考えられているIGF-I数値にも、統計的に有意な相関があることが示唆されている16。ただしこうしたリスクは、牛乳や乳製品に固有の害としてもたらされたわけではなく、カルシウム摂取に由来する影響であるというのが一般的な見解である32。
また、パーキンソン病の発症との相関関係を示唆した研究もある。Jiangら(2014)のメタ分析では、乳製品高摂取群の方がリスクが高いことが示されている(リスク比1.40,95%信頼区間[1.20,1.63])。しかしこれも牛乳摂取のみのデータではなく、乳製品全体での比較であることに注意されたい。
一方、牛乳や乳製品摂取によってリスクが減少する疾患も複数ある。代表的なのは大腸がん、糖尿病、高血圧である。たとえばRalstonら(2014)のメタ分析では、牛乳摂取によって大腸がんリスクが減少する結果が示されている(リスク比0.85,95%信頼区間[0.77,0.93])。同じように糖尿病についてはElwoodら(2008)、高血圧についてはSoedamah-Muthuら(2012)のメタ分析が代表的である1520。さらに、Guoら(2017)のメタ分析において、すべての疾患による死亡リスクが減るとのデータもあるが30、これは一貫した結果ではない。リスク増加/減少を示唆するデータは他にもいくつかみられたが、どれも限定的で一貫性がないため、今のところ評価は難しい。
総じて、牛乳有害説が主張するような害よりも、牛乳摂取によるメリットの方が大きいといえる。たとえば前立腺がんリスクについても牛乳に固有の害とはいえないため、有害説を支持するデータとしては弱いだろう。少なくとも、牛乳摂取を一義的に害であるとはいえず、むしろ摂取によって身体によい影響を及ぼすことの方が多いだろう。
データの客観性 D(低~中)
牛乳有害説の根拠とされているデータの多くは、統計データの取り違えや研究結果の読み間違えなどによる誤用であることが推察できる。そのため、そもそも牛乳が有害であるという科学的根拠となっておらず、肯定派の示すデータの客観性にはいくつかの疑問がある。
中でも『病気にならない生き方』の著者、新谷弘実氏に対して牛乳乳製品健康科学会議が送った公開質問状および回答が、その顕著な例として挙げられる。
たとえば、次の主張が新谷氏によって展開されている。
①ホモジナイズ12することによって生乳に含まれていた乳脂肪が酸素と結びつき「過酸化脂肪」に変化する
②牛乳に含まれるたんぱく質の約八割を占める「カゼイン」は胃に入るとすぐに固まってしまい消化されにくい
これらはそれぞれ、①「Homogenization of milk and milk products」Milk Homogenization and Heart Disease,Mary G. Enig, PhD(大学の教科書的HPの一節)と②「Milk」(オレゴン州立大学の教科書だと思われる)がその根拠として提示されているものの、①②にはともに新谷氏の主張を裏付ける記述はなく、研究データの誤用、もしくは恣意的な文脈の選択があることがうかがえる。
ただし、牛乳有害説を支持する直接の根拠とはならないものの、カルシウムを多く含む乳製品の過剰摂取が健康に悪影響を及ぼす可能性を示唆するデータもいくつかあり6、適切な量を飲用することが大切である。
- 12:ホモジナイズ牛乳とは、人の手によって成分が「均質化」された牛乳の事であり、ノンホモジナイズド牛乳とはその過程がないもののことを指す。両者は主に脂肪球の均一化という意味において特に意を異にする。
データと理論の双方からの観点
データ収集の理論的妥当性 E(低)
再現性、客観性の項目で述べたように、牛乳有害説を示すとしているデータの信頼性には疑問があり、理論に合致したデータを収集しているとはいえない。
仮に牛乳消費量の多い国に骨折が多いという相関データが得られたとしても、「高緯度地域で日射量が少なく骨形成に必要なビタミンDの生成量が少ない可能性」や「長身で脚の骨の長い人が多く骨折頻度が高い可能性」など、他の要因の介在を否定しきれず、有害説を主張する論理的妥当性として乏しい。
全般的に牛乳有害説では「牛乳が有害である」という結論ありきでデータを引用しており、妥当な評価がされているとは言い難い13。
- 13:同様の指摘はすでに「牛乳乳製品健康科学会議」などの業界団体からもされている。
理論によるデータ予測性 E(低)
仮に牛乳が有害であるならば、どういうカテゴリーに属するどのような人が対象なのか、あるいはそのような人たちがどの程度の牛乳を飲用すると「害」となるのか、などの検証が行われなければならない。ただし、実際には倫理的な問題が伴うため、それが困難であるという面があることも否めない。疫学的な研究によって因果関係を推定するに留まらざるを得ない。
一方で、ヒトのアレルギー症状の中でも最も強力なもののうちの一つである牛乳アレルギーについてはその発症機構はかなり細かく解明されており、症状への制御についても研究されている33。また、牛乳に限らずカルシウムの一度の摂取量の上限は600mgとされており14、牛乳有害説のみが特別に検証不可能な理論であるともいえない。
牛乳有害説ではこのような研究を言説補強の論拠として引用いることがうかがえるが、「牛乳が有害である」という主張を強力に支持する知見がないため、データの予測もできない状況にある。
- 14:高用量ではカルシウム吸収率が低下するためである。
社会的観点
社会での公共性 E(低)
現在、牛乳が有害であるという言説は、その根拠が不明瞭なまま一般に流布されていることが懸念される。特に、新谷氏の著書による影響は大きく、牛乳と科学に関する学術団体である牛乳乳製品科学会議による公開質問にまで至ったことは言及すべきだろう。
また、最近(2015年時点)のTV番組にて芸能人が牛乳有害説を支持していると述べ、物議をかもしたことも記憶に新しい。
総じて、牛乳有害説は公共的であるとは言い難く、データよりも直感が先行して一般に認知されている。行政機関などの多くの団体が警告、提言を発信してはいるが、それよりも有害であるとの説の方が「感染力」が高いようである。実際、牛乳が体に悪いとの情報がネット検索上位にくることもしばしばである。
議論の歴史性 C(中)
牛乳が有害であるという言説が、いつ、どこで生まれたのかを特定することは難しい。新谷氏による有害説が最も認知度が高いとはいえるだろうが、それ以前にも、牛乳が人体に有害であるという言説が存在していたとの指摘がある34。
こうした背景には、牛乳が「完全食品」であるといういわゆる牛乳神話に対する不信を読み取ることができる。この意味での議論は考慮すべきであるが、少なくとも現在の牛乳に関する主要な研究では牛乳神話についても否定的であり、「完全食品」であることを謳っているわけではない。また、新谷弘実氏と牛乳乳製品健康科学会議との論争に見るように、両者にはある種のディスコミュニケーションが生じていることが推定される。
他にも、乳糖不耐症について文化人類学や進化心理学の文脈にて語るべき問題なのか、それとも生理学分野のみで説明可能な事象なのかについては現在も議論が続いており、統一した見解には至っていないという課題もある。ただし、そもそもこれも牛乳有害説における直接的な議論ではないことには注意が必要である。
本項では歴史性は中と評定するが、これは牛乳有害説において建設的な議論が形成されてきたことを意味しているわけではない。
社会への応用性 E(低)
牛乳有害説の社会への応用性は低いと評価した。上述のとおり、有害説は論理性が乏しく、根拠として用いられているデータも客観性に欠けたものである。
本言説が広まることにより、実際に害はないにもかかわらず牛乳を忌避する人が増える可能性がある。特に日本人にはカルシウム摂取量の不足が指摘されており、良質なカルシウム源である牛乳を他の食品と併せて適量摂取することはむしろ望ましいことである。
乳糖不耐症や牛乳アレルギーのような特定の疾患は別として、牛乳そのものが人間にとって有害であるという言説に有用性を見出すことは現在のところ難しい。
総評 疑似科学
牛乳が有害であるという説に関して、合理的な説明を与えることはできず、それを示唆するデータもない。少なくとも骨粗鬆症における有害説の理論は破綻状態であり、他の研究データの誤用などによって、なんとか体裁だけ支えられているという状態にある。換言すると、言説のつじつまをあわせるために研究データを引用していることが指摘できる。また、社会的影響力のある著名人などを巻き込みながらこうした言説が蔓延していることが見受けられ、一般への広まり方にも注意が必要な主張である。
乳糖不耐症によって下痢症状などがあらわれ、牛乳を飲むことが不快であると感じている人は多いが、前述のような牛乳の栄養素の消化・吸収という意味において、牛乳⇒有害という構図は容易に一般化されないであろう。
牛乳有害説が信奉される背景には、いわゆる「牛乳神話」への不信を読み取ることができる。この点においては、有害説にも一分の理があるように思えるが、だからといってそれが無条件に受け入れられるわけではないのである。
ただし、この総評はあくまで有害説を唱えるほどの強力な根拠とはなりえないというだけのものであり、乳糖不耐症の場合は牛乳以外からの該当栄養素摂取も可能であるため無理な牛乳摂取は薦めない。また、先に述べたようにカルシウムの過剰摂取にある種のリスクも報告されているため適切な量を守って飲むことが望ましい。さらに、学校給食における児童の牛乳飲用に対する議論も別個必要だということも付しておく。
参考文献
- 新谷弘実『病気にならない生き方~ミラクル・エンザイムが寿命を決める』サンマーク出版2005
- ASIOS『謎解き超科学』彩図社2013
- J-CASTニュース「松嶋尚美の牛乳有害発言に批判相次ぐ 専門家も科学的根拠に基づかないとばっさり」
- テレビ朝日「中居正広のミになる図書館~知らなきゃ良かった!」
- 国立健康・栄養研究所「健康食品の安全性・有効性情報~カルシウム解説」
- 厚生労働省「海外の情報~カルシウム」「統合医療情報発信サイト」
- 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う~ノンホモ・パスチュアライズド牛乳の話』農山漁村文化協会2008
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- 国立がん研究センター「乳製品、飽和脂肪酸、カルシウム摂取量と前立腺がんとの関連について」
- 上野川修一/編『乳の科学』朝倉書店1996
- 土屋文安『牛乳読本~だれでもわかる牛乳の新知識』日本放送出版協会2001
関連サイト
- 牛乳乳製品健康科学会議「新谷弘実医師の回答書の内容等について牛乳乳製品健康科学会議の見解(平成19年12月18日)」
- Harvard T.H. Chan School of Public Health「Calcium: What’s Best for Your Bones and Health?」
- 文部科学省「日本食品標準成分表2010」
- 仁木良哉「(牛乳)研究者からみたフードファディズム」
- 仁木良哉「ミルクと酪農の真実と未来」酪農学園大学連続公開シンポジウム
- P. Heaney J.「Calcium, Dairy Products and Osteoporosis」『American College of Nutrition』,2000