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O-リングテスト

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

O-リングテスト(以下、オーリングテスト)とは、大村恵昭氏によって考案された代替医療の診断法、および自己啓発の一種である。正式名称をバイ・デジタルO-リングテストという。

自分の親指と人差し指で輪を作り、その輪が切れないように指に力を入れる。次に、他の人がその輪を力を込めて引っ張る(輪を作っている側は指に力を込めて抵抗する)。このとき、輪が切れるのならば身体のどこかに不調がある。

平易に説明すると、オーリングテストのやり方はこのようなものであり、これにより身体の不調を診断することができるとされる。他にも、処方する薬剤が本当にその人に“合うかどうか”などの適合性の判定にも使えるとされる1。また、オーリングテストによって「運命」を測定できるとする言説 1もあり、その主張は氾濫状態にある。

本項では、オーリングテストの言説、つまり、疾患への診断法、薬剤への適合性、運命を鑑定する、などへの評定を行う。なお、オーリングテストの方法論自体は先の大村恵昭氏によって考案されたが、言説(使用法の細かい違いなど、大村氏以外から派生した流派)は前述のとおり乱立している状態である。そのため、大村氏による源流的な意味でのオーリングテストを基本にしつつ、個別の言説についても言及する。まず以下に、大村氏のオーリングテストの具体的な検査法と解釈を紹介する。

バイ・デジタルO-リングテスト……大村恵昭氏がアプライド・キネオロジー(応用運動機能学)や鍼灸理論から着想をえて開発した医学的検査・診断法である。2指でつくった輪(オーリング)による指の強弱で、病気の診断、スクリーニング、臓器の状態の感知(正常-異常)、薬の有効性の有無、薬の適合性などが行えるとされている。 正常―異常の判定は8段階(+4~-4)で示され、臓器の状態を調べるために微弱な磁気刺激、電気刺激を加えることもある。

オーリングテストの結果は従来の西洋医学的、東洋医学的検査法で確認できるとしており、科学的裏付けを重ねた診断精度の高いものであることが謳われている。

繰り返すが、言説としてのオーリングテストは乱立状態にあり、上に挙げた大村氏によるもの以外にも、主張は数多くある。
たとえば、桜宮史誠氏によって確立された「桜宮式オーリング・テスト」では、人間の運命をほぼ完全に捕らえることができるとしている2。その人が健康であり続けることができるかどうか、事業の成功や失敗、家庭運、どういう形で亡くなるかまでわかるとし、あらゆる物体から発せられる振動波、「陰波」と「陽波」に対して人体をセンサーとして同調させ、情報を得ることができるとしている。

ほかにも「高次元オーリングテスト」や、カラーセラピー理論をオーリングテストと足し合わせたものなど、類似した主張は多い。そのため、語句概念を厳密に定義することは困難だともいえるが、大村氏による方法論を基本的な情報とし、評定記述を行う。

  1. 1:たとえば、桜宮史誠『驚異のオーリング運命鑑定法』日本文芸社1994;末武信宏『自分に奇跡を起こす超パワー開発法~カラーセラピーで成功をつかむ』ロングセラーズ2001など

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 E(低)

大村氏によるオーリングテストではヒトの生体を「センサー」として捉えている。生体の異常な部分は正常な部分とは異なる電場や電磁場を持っているとしており、オーリングを維持する力が弱まるとされている。
たとえば、肝臓について測定する場合では、ガラス棒などの刺激物で患部を刺激しながら(測定者が患者の)オーリングの指の力を診る。仮に異常がある場合、脳にその刺激が伝わり、それが指のオーリングの抵抗力として表示される。つまり、神経や筋における刺激と反応を中核的な作用機序としていることがうかがえる。

オーリングテストの開発者である大村氏は、このような作用機序の着想を鍼灸治療におけるツボや経絡理論から得ており3 、鍼灸を前提とするならば理論として説明できなくないものもある。しかし、鍼灸の理論は十分に実証されておらず、また、神経信号だけでは説明のつかない主張もある。

ひとつは、テストの意味を理解できない子供や(物理的に)指を使えない人、意識のない病人などへのオーリングテストの適応についてである。大村氏によると、患者と測定者の間に第三者を置くことにより2応用可能としているが、これに対し、生体がセンサーとしてはたらいているから、ということ以外にこの理論への説明はない。神経や筋の緊張などを作用機序とするならば、(測定者―患者)間に別の第三者を置くことはこうした理論に整合しない説明のようである3が、この点を上手く説明できていないのである。

また、薬の適否判定や、他のオーリングテスト言説で見られる「運命」がわかるとの理論においては、神経や筋の緊張だけでなく、「薬効作用の正確な理解」や「人の運命の想定」をも(主に患者側が)しなければならず、合理的な理論として成立していないといえる。

 
  1. 2:この場合、指でオーリングをつくるのは第三者である。
  2. 3:第三者を置く場合に、オーリングテストが患者の状態を測定しているのか、第三者の状態を測定しているのかの判別は困難であろう。

理論の体系性 E(低)

少なくとも、大村氏が開発した“本流”のオーリングテストはその一部を鍼灸理論から引用しており、完全に突飛な発想ではないように思われる。現代の実証主義に照らし合わせた場合、鍼灸理論自体にも批判はあるものの、神経や筋の作用に基づいた診断法であれば、程度の差はあるが、通常医学からもそれほどかけ離れた体系性ではないだろう。

主要な問題の一つは、大村氏によるオーリングテストと、そこから派生した言説との間においてですら体系性において大きな隔たりが見られるという点にある。たとえば、前述の桜宮式オーリングテストでは「波動」や「運命」といった、それ自体何を意味するのかわからない概念を導入しており、少なくとも現代の他の学術的知見とは全く相いれない。

他にも、高次元の生命世界を前提としている「高次元オーリングテスト」や色彩によるヒトの心への影響をオーリングテストに応用したものなど、暗黙の前提とされている知見に学術的な脈絡のないものが多い。

理論の普遍性 E(低)

診断法としてのオーリングテストの最大の“売り”は、患者に負担をかけずに多くの疾患(基本的に禁忌は規定されていないためすべての疾患)を測定し、薬の適否判定をもすら行えるということにある。
しかし、神経の刺激による生体の反応や筋の緊張などだけでは薬の適否判定が行えるとの言説を説得的なものにするのは難しく、有効成分は同一である後発薬(たとえばジェネリック医薬品など)の判定などはどうなるのか、といった疑問に十分に応えているとはいえない。

また、腕を失った者、指に力の入らない老人、乳幼児、障がい者をも診断できるとしているが、これまでの医学的知見とは接合的でない説明であり、普遍性を装っていることが推察される。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 E(低)

オーリングテストが特定の疾患や薬の適否判定を診断しているという事例は多い。しかし、それらの多くは個別の事例報告であり、無作為化比較対照試験などから有効性が示されているわけではない。

オーリングテストによる診断では、上手くいった報告が発表され、それ以外は発表されないといった「お蔵入り効果」が懸念される。たとえば、「桜宮式オーリングテスト」の提唱者である桜宮史誠氏は自身の著書内で「坂本弁護士殺害事件」について、事件の全貌が解明される前に家族三人とも生存していると言及しているが、実際には一家は殺害されており、少なくとも“全てがわかる”診断法とされることには疑いが残る。

本項ではあえてオーリングテストが“当たってしまう”という事象に注目したい。オーリングテストが“当たった”という事例を信じることを出発点とすると、診断法そのものよりも、それを取り巻く者たちの技術面や心理面に“たまたま”オーリングテストが合致してしまっていたのだ、ともいえる。
たとえば、熟練した使用者が相手の顔色や動作などから“当てられる”ことがありえ、問題を抱えている人(患者)はそれをオーリングテストの効果だと錯覚しているということも考えられる。つまり、問題はオーリングテストという方法論ではなく、それを構成する構図のほうにあると考えることができる。とはいえ、これを担保にデータの再現性を高く見積もることも当然できない。

データの客観性 E(低)

診断法として展開するならば、診断できる疾患やその診断率を細かく規定する必要があるが、オーリングテストでは患者の指の開き方を得点化したもの(-4~+4まで)によってそれを推し測っている。これでは診断のかなりの部分を測定者の主観に頼らざるを得ず、また、測定者と患者の体格の違いや力の入り具合、測定者のその日の調子など、診断が左右される要因が見受けられる。

熟練した測定者にしか行えない診断法であると開き直ることもできるが4、オーリングテストでは指の開き方にコツ(ある種のトリック)があることが知られており5、客観性を推し測る指標として適切な尺度がそもそもないのである。

 
  1. 4:この点は通常医学の診断(X線の読影など)においても同様である。
  2. 5:オーリングをつくった指において、第一関節より先の部分を引っ張るとリングは簡単に開いてしまう(※これは、少なくとも大村氏の書籍等において推奨されている方法ではない)。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 E(低)

オーリングテストが薬の適否判定に使えるのならば、本物の薬と偽薬を比較した場合などをテストすれば妥当なデータが収集されるはずであるが、そうした実験報告は見受けられない。また、症例対象報告においても、本当にオーリングテストが有効に働いて疾患の特定につながったのかという、密接した関係性を特定するのは事実上困難であり、オーリングテストの功績だとするには論拠が不明瞭な点も多い。

理論によるデータ予測性 E(低)

診断法としてオーリングテストを実施する場合、どのような人に対し、どういう手順を踏めば、どのような疾患が測定可能であるかが想定されなければならない。しかし、オーリングテストではすべての人のすべての疾患、さらにはその疾患に効く最も最適な薬に至るまでが診断可能であるとされており、前述の手順が場当たり的であることが推察される。

「最適な薬」とした場合、何をもってそれが最適であるかは熟練した医師の間においても時には意見が分かれるものであり、一義的にそれを測定できるとするオーリングテストは事実上、反証不可能であるといえる。

社会的観点

社会での公共性 E(低)

現在、日本においては「ORT友の会」や「日本バイ・ディジタルO-リングテスト協会」、「ORT生命科学研究所」などの団体が活動している。定期的な論文誌刊行はないが、研究会やシンポジウムなどを定期的に開催しており、それらの場は基本的にオープンとなっている。入会に際しては医師法に抵触するような行為の禁止、及び医師がオーリングテストを用いて医療行為を行う際の患者とのインフォームドコンセントの取り付けなどが規定されており、特定の研究が秘匿されるような環境ではない。

  たとえば、「日本バイ・ディジタルO-リングテスト協会」では入会同意書において下記のような規定が明示化されており、認定医制度も推進している。

2.O-リングテストによる診療記録を保存します。
[…]
5.O-リングテスト診療に際してはあくまでも補助診断として応用し、現代医学的診断法及び科学的検査にて確定する努力をします。
[…]

ただし、独自の定義でオーリングテストを実施、提供している推進者も多く、主張が氾濫状態であるという面は否めない。

議論の歴史性 D(低~中)

大村氏による“源流”のオーリングテストでは前述の団体などにおいて研究発表も行われており、実証性についてオープンに議論がされている(議論が秘匿されているわけではない)。ただし、派生した言説においては無反省に万能性が謳われているだけのものも多くあり、「奇跡の治療法(診断法)」として、医学や医療の域からはみ出して、むしろ信奉の対象となっている面もある6

こうした氾濫に対して、その議論や実態解明が十分でないまま言説が(科学であるとして)社会へ放たれているのは大きな問題点であるといえる。

 
  1. 6:たとえば、深野一幸『難病を癒す奇跡の超医療~現代医学の常識を打ち破る衝撃のレポート』廣済堂出版1994;船井幸雄『にんげん』ビジネス社2005;樋田和彦『癒しのしくみ』地湧社1992など

社会への応用性 E(低)

現代医療現場において、オーリングテストが他の診断法よりも優れていて、“実際に使える”という明確な利点は見当たらない。診断に迷った(あるいは診断が困難な病態に遭遇した)医療従事者が気休めとして使う、といった方策として(かなり後ろ向きな理由ではあるものの)応用できないこともないが、少なくともオーリングテストのみによって診断が下せるほどの精度ではないことがいえる7

このような前提に立った場合、論点として見過ごせないのは、オーリングテストがあたかも万能の診断法として確立されたものであるかのように語られている主張があるという点である。たとえば、「病院にかかったら、まずその医者がオーリングテストを知っているかどうかを確認しなさい」といったオーリングテスト至上主義も主張内部に見受けられ1、現状、社会において適切に応用されているとはいえない。

また、高次元世界や波動など、単なる診断法の域を超えた「生き方」や「価値観」に訴えかける主張も乱立している状態にあるため、問題の根本はむしろ啓発活動にあるともいえるだろう。

 
  1. 7:関連団体も「補助診断」としてオーリングテストを実施するべきとの旨を同意書に規定している。

総評 疑似科学

オーリングテスト開発者である大村氏は、現代医学の限界感や患者が抱える閉塞感を鍼灸医学に求め、そしてオーリングテストを開発した。
現代の医学が万能ではないことは自明であり、同時にそこから“見放された人”が多くいることも疑いようがない。医学を含む現代の科学に皆が大きな不信感を抱き、そうした背景から、現代社会においてオーリングテストが受容された、という指摘もあるようである。

ただし、再現性の項目で述べたように、オーリングテストにおいてはその方法論よりも、実は“当たってしまう”という現象を問題視すべきなのかもしれない。「こっくりさん」や「テレパシー」を“当たった”と感じるのと似たような構図がここには見受けられ、仮に再現性が抜群に高ければ、社会の中で有用な面もあるだろう。
しかし、診断法であるとの主張を医療や医学の枠組みの“外”に持ち出し、「良い生き方」や「人生の価値」といったものまでをオーリングテストが担保し、そしてそれが科学のフィールドで言説化しているのならば、検証し、究明すべき議題といえるだろう。そして、現状のオーリングテストではそうした試みがみられない以上、疑似科学であると評定する。

 

参考文献

  1. Asahi Shimbun Weekly AERA「薬の適否判定O-リング~医療現場に広がる不思議な世界」2005
  2. 桜宮史誠『驚異のオーリング運命鑑定法』日本文芸社1994
  3. 深野一幸『難病を癒す奇跡の超医療~現代医学の常識を打ち破る衝撃のレポート』廣済堂出版1994
  4. 船井幸雄『にんげん』ビジネス社2005
  5. 樋田和彦『癒しのしくみ』地湧社1992
  6. 末武信宏『自分に奇跡を起こす超パワー開発法~カラーセラピーで成功をつかむ』ロングセラーズ2001