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ワクチン有害説

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

人類における病の歴史は感染症との戦いの歴史でもあり、感染症は多大な被害を我々にもたらしてきた。ジェンナーらの貢献によって種痘が退けられ、2000年には日本も含めた西太平洋地区においてポリオ撲滅宣言が出されたものの、未だに人間と感染症との攻防は続いている。本項では、こうした感染症に対するワクチン接種1が、ヒトにとって「有害である」との主張を検討する。

「ワクチン有害説」とは本項では「ワクチン接種はヒトにとって有害である」という旨の主張の総称として位置づける。「ワクチン有害説」を構成する主張は幅広く、内容も多様である。たとえば、「ワクチン接種には効果がない」「ワクチン接種によって別の疾患(自閉症など)が誘発される」「ワクチンを打つよりも感染症に自然罹患したほうがよい」「行政や製薬会社、医師などの利権によって必要のないワクチンが打たされている」などの主張が「ワクチン有害説」を形作っている(たとえば1234など)ことが推定される。そのため本項でも、こうした言説を細分化しながら検討する。個別のワクチンについては、特に「子宮頸がんワクチン」と「インフルエンザワクチン」をこの問題の中核的要素として位置づけ、全体把握をしながら評定する。

なお、本項ではワクチン接種による副反応(副作用)“それ自体”は有害説とはみなさない。副反応による被害はワクチン接種にあらかじめ想定されているリスクであり、コスト―ベネフィットという視点からの議論が可能だからである。評定では、有害説を訴える個々の主張がこうした関係性を十分に捉えているかをより重視する

  1. 1:専門的には、ワクチン接種には免疫付与と予防接種というふたつの意味が含まれる。前者は「ワクチンの投与」を意味し、後者は「免疫の誘導あるいは付与」を意味している。本項では基本的に「ワクチン」という表記で統一し、先のふたつの意味を同義的なものとして扱う。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 D(低~中)

「ワクチン有害説」における論理性を評定する前提として、まず、予防接種・ワクチンがどのようなものであるかを概観する。
ごく大ざっぱに分類すると、予防接種・ワクチンは「生ワクチン」と「不活化ワクチン2」に分けることができる。「生ワクチン」は病原性を弱めた病原体を接種することにより、軽い感染を引き起こして免疫を誘導するものである。代表的なものには、BCG、麻疹・風疹(MR)、水痘、ロタウイルスなどがある。「不活化ワクチン」は病原体を死滅させて感染力をなくしたものである。4種混合(DPT-IPV)、ポリオ、日本脳炎、インフルエンザ、HPVワクチンなどがこれにあたる。

ワクチンは健康な人に対して処置するという意味において他の医療行為とは一線を画している。たとえば「生ワクチン」とは、感染力を弱くした病原菌をそのまま体内に取り入れることによって免疫力を高めるため、予防するはずの病気に自ら罹患しているとすら換言できる(実際、かなり稀ではあるが生ワクチンによって自然罹患と同じような症状が出現することがある)。ある意味、ワクチン接種は人体に対して害をもたらしているのである。

ただし核心は、こうした行為がそれによって得られる利益をも凌駕する「害」を与えているか、ということである。それを推し量るためには本来、すべての感染症とそのワクチンに対して、「ワクチンを打つことによるメリット/デメリット」と「ワクチンを打たないことによるメリット/デメリット」というリスク―ベネフィットの観点から比較検討していく必要がある。さらに、「個人」にとってのリスク―ベネフィットだけでなく、「社会」にとってのリスク―ベネフィットという観点も、ワクチン接種の議論には必要なのである(表1、表2)。

(表1)個人にとってのワクチン接種
メリットデメリット
ワクチンを打つ感染症被害の予防副反応が起きる可能性
ワクチンを打たない副反応なし感染症に罹る危険性
(表2)社会にとってのワクチン接種
メリットデメリット
ワクチンを打つ社会の感染症蔓延を防ぐ確率的にありうる副反応
ワクチンを打たない副反応被害なし社会の感染症蔓延の危険性

厳密には、すべての感染症とそのワクチンに対して、上の表に当てはめたうえでの評価が必要である。しかしながら、現実的にはすべての感染症による「個々人への影響」をそれぞれ評価することは困難であり、ゆえに社会全体の利益が優先されるのである。本項でも簡易的に、


1.HPVワクチンの事例(ワクチンによる有害事象の評価)
2.インフルエンザワクチンの事例(ワクチンの有効率への理解)

の2例を紹介し、かつこれらを「ワクチン有害説」の理論と仮想して比較検討を行うこととする。おおざっぱに1でワクチンを打つことによるメリット/デメリットの比較の議論を主に紹介し、2でワクチンを打たないことによるメリット/デメリットの比較の議論を主に紹介する。

1.HPVワクチンの事例(ワクチンによる有害事象の評価)
ワクチン接種後における身体の不調については、ワクチンによる因果関係を問う「副反応3」と、すべての症状を含む「有害事象」に区別される4。これは、「ワクチン接種が原因で身体の不調が引き起こされた」という原因⇒結果の関係が明確なものを副反応とし、「理由はわからないが身体が不調になった。ただし、ワクチン接種後という関係がみられた」という関係性(相関関係)にのみ着目したものを有害事象として区別しているということである。

副反応は「想定内のリスク」であるため、100万件に1~10例ほどは起こりうる。当然、こうした副反応が重篤であればあるほど、発現する頻度が高ければ高いほどワクチンを接種することによる利益は相対的に低くなる。通常、ワクチン接種はこうしたリスク以上にメリットが得られるという発想に基づいて施行されている。

一方、「ワクチン有害説」では副反応に加えて「有害事象」も含めてデメリットとすべきという主張がみられる。副反応だけでなく有害事象も含めて「ワクチンを打つことによるデメリット」とみるべきであるという見解であり、これは、ワクチン接種という「行為全体」を捉えるという意味では論理的である。ただし論点は、副反応と有害事象を区別したうえでそれぞれを評価することであり、「ワクチン有害説」の訴える論理がこうした点を踏まえているかということが重要である。「副反応と有害事象を区別する必要はない(混同したままでよい)」という主張では、極論すると(ワクチンを打ったという事実さえあれば)どんな症状であっても「ワクチンのせいだ」といえてしまい、論理的でないからである。

このような、副反応と有害事象の区別という論点について、近年の日本で最も話題となった事例として「子宮頸がんワクチン」にまつわる議論が挙げられる。
一般的に「子宮頸がんワクチン」と呼ばれるこのワクチンは、正式名称を「HPVワクチン」という。HPVとはHuman Papilloma Virus (ヒトパピローマウイルス)の略であり、子宮頸がんの発生に大きくかかわる病原菌である。1983年にドイツのハラルト・ツア・ハウゼン博士によって発見され、この功績によって同氏はノーベル医学・生理学賞を受賞している。

HPV自体は特別珍しいものではなく、80%の女性が一生に一度は感染すると推定されている56 。ただし、その中のすべての人が子宮頸がんを発病するわけではもちろんない5。HPVには現在までのところ合計100種類ほどの型が報告されているが、子宮頸がんの発症と深くかかわっているのはその中の20種類ほどであるとみられている。現在のHPVワクチンはこの20種類のうち、ハイリスク群にあたる16型と18型6に対して予防効果7がある。

2013年4月、日本においてHPVワクチンの定期接種8が始まった。しかし同年6月、厚生労働省はHPVワクチン接種の積極的勧奨の中断を決定した。これは、同ワクチン接種後における原因不明の有害事象が多発したことを受けてのものである。ここから、この問題を取り巻く状況が複雑化した。

HPVワクチン接種後に報告された有害事象は多岐にわたった。けいれんや患部の痛みだけでなく、失神、脱毛、光過敏や歩行障害、化学物質過敏症状や電磁波過敏症状までさまざまであった。西岡久寿樹氏らを中心とする研究がこうした症状に警鐘を鳴らしており、氏らは、HPVワクチンにおけるこれらの有害事象をまとめてHANS症候群と命名する提案を行った。ただし、こうした有害事象には少なくとも「物質的な意味」でのワクチンとの因果関係は認められておらず9、現在のところ副反応とはみなされていない。

「ワクチン有害説」という意味での論点は、こうした有害事象(HANS症候群)とHPVワクチンによる真の副反応とが区別されたうえで評価されているかどうかであるが、HPVワクチンの害を訴える側の論理にはこうした観点からの議論はみられない。そもそも、現状のHANS症候群の定義では、極言すればどのような症状も「HANS症候群である」といえてしまい、評価以前に「本来の副反応」との区別すらできないという問題がある。HPVワクチンにおける副反応の報告件数は他の予防接種と同程度かそれ以下の頻度であり、なぜHPVワクチンにだけHANS症候群が発現するのかという素朴な疑問も解消されていない。「ワクチンを打ったこと」によるメリット/デメリットの比較が妥当に行われているとはいえないのである。

一応、HPVワクチンの場合にのみ適応可能であるが、「有害事象を含めてワクチンのデメリットとみなせば、接種のメリットを上回る」といった有害説に有利な見解も導けなくはない。HPVワクチン接種時における「痛み」が何らかのきっかけになって症状に表れているのではないかという指摘は理論的には考えられるからである。HPVワクチンは「筋肉注射」であり、他の多くのワクチンが「皮下注射」である日本人女性が慣れない筋肉注射にショックを受ける、あるいは身体が過剰反応するということは一般論としてありうるのである。これは、HPVワクチン接種対象者は主に思春期の女性であり、乳児と比較して「注射を刺すという行為」がもたらす影響が大きいことからも推測できる。

しかしながら、HANS症候群を支持する立場ではこうした「機能的な症状10」には否定的な態度であり、メリット/デメリットの比較という建設的な議論には至っていない。少なくとも現状はHANS症候群自体に理論的な支えが見当たらない以上、有害事象のみを過剰視していることが推定できる。

2.インフルエンザの事例(ワクチンの有効率への理解)
「ワクチンが害である」かどうか判断するためには「ワクチンを打たなかったことによるメリット/デメリット」も比較する必要がある。しかし、多くのワクチンにおいてこうした比較は積極的に行われてはいない。感染症の脅威に対する正当な評価を下すのが非常に難しいというのがその理由であり、そのため、基本的には「ワクチンで防げる病気VPD(Vaccine Preventable Diseases)」に代表される、「ワクチンで防げる疾病はワクチンで予防する」という予防原則の原理に従っているのである。
ここではまず、インフルエンザワクチンを例として取り上げながら「ワクチンの有効率」を紹介しつつ、こうした比較・評価の概要と難しさを説明する。ワクチン接種において「有効率70%」といった場合、「ワクチンを打たずに発病した人のうち、70%はワクチンを打っていれば発病が避けられた」という意味である。しかしこれを「100人のワクチン接種者のうち70人が発病しない」という意味に誤解されることがたびたびある。

ワクチン接種を受けていない100人の生徒がおり、内10人がインフルエンザに罹患したとする。有効率70%とは、「もしも全員がワクチン接種を受けていたらその10人のうち7人は発病せず3人が発病する」ということである。つまり、ワクチン接種をすれば97人は発病せず、接種しなければ90人が発病しないということになる。確実に7人には効果があるのだが、ワクチンを打っても打たなくてもインフルエンザを発病しない生徒も多いので、効果が薄いと錯覚してしまうのである。

インフルエンザワクチンはその性質上、体験としての効果を特に実感しにくい。流行ウイルスの変化によってワクチン株も変えていかなければならず、その予測如何による「当たりはずれ(不確実性)」が大きいのである。ワクチン接種によってインフルエンザの症状が軽微になるが、「罹ったという事実」にとって存在しない症状の比較は意味をなさず、思い込みや体験を過大視しやすい背景であることが推定できる。実際、日本でインフルエンザワクチンの集団接種(定期接種)が行われなくなった原因として、「有効率への誤解」が問題視されている。

さて、ワクチンを打たないことによるメリット/デメリットの比較は、以上のような有効率を理解したうえで議論する必要がある。打たないことによるメリットは「副反応被害がなくなる」ことであり、デメリットは「その感染症の影響と罹患するリスク」である。この例でいうと、仮にワクチンを打たなかったら不利益を被ったであろう7人を含めて感染症の影響をどう評価するかということである。しかし、この作業は困難を極める。

たとえば、百日咳は非常に稀な疾患であるためワクチンの必要はないとする見解がある一方で、症状が悪化した場合のことを考慮して必要だとする意見がある。破傷風11は病態が悪化しやすく治療も難しいためワクチンが必要であるとの見解でおおむね一致しているが、おたふくや風疹(はしか)においては「ワクチン接種ではなく、むしろ自然罹患させたほうがよい」との意見もある1234

このように、個別の感染症(ワクチン)についての被害の影響が一定に定まらないのであれば、(問題もあるが)ワクチンを打たない場合は考えず、打つことによるメリット/デメリットのみを考えるという方針に意義があるように思われる。近頃広まっているVPDはこうした理念に従っているともみなせ、多くの個人と社会的な利益を優先してワクチンを推進しているという見方ができるのである。
そして、これを凌駕する論理が「ワクチン有害説」が求められるのであるが、現状はそうなっていない。どのワクチンが必要で、どれが不要なのかといった見解が一致していないことがみられるのである。

総じて、「ワクチンは有害である」との理論には疑問点も多いものの、全く根拠がないとまではいえず、相応の論理性は認められる。特にHPVワクチンなどの「新しいワクチン」は今まさに長期的な経過観察を行っているとも換言でき、また、統計的な確率論では個人の問題が割り切れないことにも注意が必要である。VPDについても、すべての標準を諸外国に合わせるべきという意見に対する「乳幼児死亡率」や「医療制度の違い」という観点からの反論があり(日本よりもワクチン接種率が高いが乳幼児死亡率も高い外国を見習う必要があるのかなど)、本当に必要なワクチンは何であるかという議論の呼び水として有効である。

しかし、「ワクチン有害説」全般としてワクチン接種の対抗理論として採用されるほど整っておらず、理論として未成熟であることも事実である。「想定している副反応」をどう評価するかについては常に注意が必要であるものの、有害説の論理に支持するだけの正当性があるかどうかはまた別問題である。

 
  1. 2:本項では「トキソイド」を不活化ワクチンとして同定する。
  2. 3:よく知られている副反応にはたとえば、接種局所の腫れや疼痛、アナフィラキシーやギラン・バレー症候群、神経症状などがある。
  3. 4:また、ふつうの医薬品ではその医薬品が原因でおきる不都合な作用を「副作用」と称すが、ワクチン接種ではそれを「副反応」と言うなど、語彙的な違いもみられる。
  4. 5:HPVはまた、男性の陰茎がん、肛門がんや口腔がん、中咽頭がんの原因となるともみられている。これは主に性交渉時における感染が原因であるといわれており、そのため、海外(米国等)では男性に対してもHPVワクチンの接種が推奨されている。
  5. 6:子宮頸がん全体の約70%がHPVの16型と18型に起因しているとみられている。
  6. 7:現在認可されているのは商品名「サーバリックス」と「ガージタル」である。「サーバリックス(2価ワクチン)」は16型と18型への感染予防効果があり、「ガージタル(4価ワクチン)」には16型、18型に加え、ローリスク群である9型と11型への予防効果がある。
  7. 8:定期接種は接種に対して(努力)義務のあるワクチンであり、主に公費によって賄われている。他に、任意接種という区分もあるが、こちらの財源は私費である。両者は単に行政上の違いであり、(私費である)任意接種が定期接種よりも劣るということではない。
  8. 9:原因物質をアジュバンドというワクチン添加物(ワクチンの効果を高めるために添加される免疫増強剤。アルミニウム塩が用いられている)に求めた議論もあるが、これはHPVワクチンに特異なものでなく、症状との関連性はみられてない。
  9. 10:骨折後、骨は修復されているのに「痛み」を感じることがある。病理学、解剖学的な異常は見当たらないのに身体に症状が出るのである。これを機能的な症状という。
  10. 11:現在、日本において破傷風ワクチンは四種混合に含まれている。「ワクチンは不要だ」との意見においても、「破傷風ワクチンだけは打っておくべきだ」との見解は目立つ。これは、現在破傷風の治療が基本的には対症療法しかないことに由来する。

理論の体系性 D(低~中)

現在のワクチン接種における基本的な考え方は、ワクチンで防げる疾病は予防するという予防原則の原理に従って構築されている。これは、社会防衛という観点に重きを置き、ヒト全体として感染症に対抗すべきだとの理解に基づいている。

こうした理論の背景には、感染症の被害は人類にとって未だに脅威であること、個々の感染症の影響を正確に評価することは難しいことがあり、一方で「科学の限界」を表明している。つまり、ワクチン接種の副反応については、「全体として効果があるためある程度致し方がない」という妥協を含んでいるのである。ワクチン接種の推進に対しても体系性を高く評価できない面が一方ではあるのだ。

ただし、翻って「ワクチンは有害である」との対抗理論でも、マイノリティである副反応を重視するあまり新たなマイノリティ――ワクチンを打ちたくとも打てない人が被害をこうむるなど――を生み出してしまうというジレンマを抱えており、他領域の知見と整合的でない理論となっている(詳細は「普遍性」の項を参照)。

また、個別のワクチンにおける議論を紹介すると、たとえば、かつて日本脳炎ワクチンでは中枢神経副反応である急性散在性脳脊髄炎(ADEM)との関連性を否定しきれず12、積極的勧奨が差し控えられた経緯がある。その後、新しいワクチンの開発により定期接種が再開されたが、最近の日本脳炎発症者は年間10人にも満たず、(軽微なものを含めると)ワクチン接種における副反応事例のほうが多くなる。この点では、医学、疫学的知見と整合的であるといえる。

ただし、特にHPVワクチンの副反応における問題では、「心身の問題」との厚生労働省の見解に対する反発が少なからず見られるが、成分・物質的な関連性がないとされる以上、疾患の原因を精神領域に求めるのはむしろ妥当である。「心身の問題13」とは現にある症状を軽視しているわけでは決してなく、「精神科の病気」として扱うことの意義を訴えているのであって、機能的な症状への理解の低さのほうが問題である。この点が考慮されていないという意味で、体系的な理論ではない面もある。

全体として、「ワクチン有害説」もワクチンを推進する立場においても、医学との接続は見られる。しかし、医学自体が複雑な事象を研究対象にしているため、両説ともに体系性が十分でない。そのため、比較の難しい問題となっているのである。

  1. 12:防腐剤として使用されていたチメロサールの含有量が問題となった。
  2. 13:ここでの心身の問題とは、発現した身体症状において「心」が関与する部分が大きいという意味である。いわゆる心身症と同一視できる。

理論の普遍性 D(低~中)

現状、ワクチンが有害であるとの理論を多くの人に適用するのは難しい。というのも、この問題には「社会防衛」という側面が付きまとうからである。

仮に、個人にとってワクチンのリスクのほうが効果より高くとも、その理論を万人に当てはめることは簡単ではない。ワクチン接種に対する対抗理論として、しばしば「予防接種に頼らずに、病気をうつしあって免疫をつければよい」や「自然に罹患したほうが、予防接種を受けるよりも強力な免疫力がつくためよい」、「多くの感染症は大した脅威ではない」などの主張がなされるが、これらの理論には基礎疾患を患っていたり、すでに免疫力が低下している人に適用することができないという問題を抱えている。

たとえば、抗がん剤治療などによって免疫力が低下している人にとって、自身の周りで感染症をうつしあう行為はそれ自体が致命傷になりかねず、到底承服できるものではない。また、先天的な免疫不全などの理由でワクチンを打ちたくとも打てない人の立場に立つと、感染症に対するほとんど唯一の対抗手段は「周りにその病気がないこと」であり、こうした社会防衛の観点からも「ワクチンが有害である」との理論を普遍的に扱うことには疑問がある。確かに、自然罹患のほうが免疫誘導が強力であり、ワクチン接種における免疫の弱さも示唆されてはいるが、対抗となる理論により大きな疑問が残る以上、「ワクチンが有害である」とまではいえない。

ただし、個別のワクチンについてさらに研究が進めば、将来的に各人の体質に合ったワクチンのみを接種することも理論的には可能であり、そうした意味で、現在のワクチン接種に向けて疑義を呈することにも一定の意義はあるとはいえる。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 E(低)

ワクチンは有害であるとする場合に用いられるデータの多くは、ワクチン接種における「有害事象」や「副反応」を取り上げたものである。しかし、副反応の発症頻度については多くの場合想定された確率の範囲内に収まっている。
たとえば、HPVワクチンにおける副反応について、名古屋市が行った調査ではワクチン接種との関連性は認められなかった7。また、平成28年3月に行われた厚生労働省におけるHPVワクチン副反応の成果発表にて、遺伝子による関連性が示唆された報告もなされたが、これは、症状が出た場合のみを集計したものであり、データ不足であるとの見解が公表されている8

ワクチン有害説が提示する副反応データとして、自閉症とMMR(麻疹、風疹、おたふく)混合ワクチンとの因果関係を示唆した研究(1998年)が有名である。世界で最も権威ある医学誌の一つとされる「ランセット」に論文が掲載されたことにより話題になったこの研究だが、現在では当該研究の責任者であった英国のウェイクフィールド医師によるデータの不正操作が明らかになっており、信頼のおけるデータではないことがわかっている(実際、この論文は2010年に取り下げとなっている)。

細かくいえばヒトの体は個体によって違うため、想定外の副反応が起きることも否定しきれず(現に、歴史的に何度も見られた)、そもそも統計的な確率論で扱うこと自体に疑問があるという見方もできる。しかし、そうだとすると副反応や有害事象の事例収集にも同じことがいえてしまい、意味をなさない議論となってしまう。

データの客観性 E(低)

予防接種と自閉症の因果関係を示唆した研究では、再現性で述べたような研究不正が行われたため当然ながら客観的とはいえない。また、HPVワクチンにおける副反応の事例報告も客観性においてバラツキが大きい。特に「痛み」については機能的な症状も考慮しなければならず、完全な峻別はほぼ不可能である。そのほか、想定されたリスクについてのデータの客観性は非常に高いが、これは有害説を唱える根拠としてはかなり弱い。

副反応に関する問題では、現前している症状に対してその原因を何に求めるかという文脈において主張が対立する。これには、ワクチン接種における用語の定義が問題の背景としてある。 論理性でも述べたように、ワクチン接種において「有害事象」という場合、原因が何であれワクチン接種後に起きた身体の不調を意味する。一方「副反応」とは、ワクチンの成分によってそうした症状が引き起こされた場合をいう。そのため、ワクチン接種後における有害事象には真の副反応のほかに、他の要因による「紛れ込み」が常に推定される。

単純に有害事象のすべてを「副反応」として扱うと、紛れ込みの可能性を排除しきれず、データの客観性が著しく損なわれてしまう。日本では、ある一定の基準を「副反応」として認定するという体制を基本的には採っている14が、そこにも未知の副反応を見逃してしまうというリスクが伴う。
理想としては、有害事象の中から真の副反応のみを精度高く抽出することであるが、現在の「科学の限界」として、とりあえず基準を定めるという方策に従っている。「とりあえず」の基準をどこに求めるかということが最大の論点であろうが、しかしこれが非常に難しいのである。

海外と比較すると、たとえばデンマークでは、電子的医療記録をもとにしたデータベースを構築しており、それにより、ある医薬品発売の後にこれまでと違う兆候が現れたかどうか評価できるようになっている。これは、特定の医薬品を利用した人/利用していない人との比較もしやすく、副反応の線引きを容易にしやすいという大きな利点がある。
一方、日本ではこうしたモニタリングのネットワークがないため、「現れた有害事象をとにかくすべて報告してもらう」という体制がとられている。これには、メディアなどによって問題が注目される前には報告数が少なく、関心が高くなると過剰に報告される「紛れ込み」の危険性があるが、なるべく多くの可能性を探るという利点もある。

紛れ込みの疑念はどこまでも付きまとうが、そんな中でも日本はある意味柔軟といえるシステムを採っている。これまでの副反応における事例もこうした観点に基づいており、相対的に極めて慎重に検討されている。
こうした制度と比較して、すべての有害事象を「ワクチンは有害である」との根拠に含めるデータには客観性が高いとはいえない。

  1. 14:厚生労働省によって「副反応報告基準」が類型化して定められている。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 D(低~中)

「ワクチンは不要だ」「ワクチンは有害だ」との主張全般の根拠として用いられるデータには、副反応を示したもののほかに感染症の脅威について反駁するものもある。しかし、そうしたデータには予防原則という観点からの疑問が残り、反対に、ワクチンを接種した場合の費用対効果については期待できるデータが揃っている。「ワクチン有害説」がそれにとって代わることは現状困難であるといえる。

しかし、過去にはワクチンの危険性についてのデータが収集された結果、成分の見直しが図られたワクチンもあり、そういう意味では妥当なデータが収集されているといえる。ワクチン添加物において見直された成分には、ゼラチン、チメロサール15などがある。

  1. 15:有機水銀化合物であるチメロサールについては、過去に自閉症との関連性を疑われたが、現在は否定されている。

理論によるデータ予測性 E(低)

ワクチンを接種しない場合どのようなデータが予測されるか、といった理論は見受けられない。感染症流行を精確に予測することは困難であるため、現状のワクチン接種に疑義を呈す範囲にのみ留まっている。一方、現行のワクチン接種においても予測が正確であるとも言い難く、顕著な例として2009年頃に見られた「新型インフルエンザ」における問題が挙げられる。

世界的大流行(パンデミック)が宣言されたいわゆる「新型インフルエンザ」に関しては、被害の実際に比べて危険性が多く見積もられた。発症者の多くは季節性インフルエンザと同等かそれより軽度な症状であったが、「見えない恐怖」を扇動するような言説(特に報道)が目立ったことによって、国民の多くが過剰反応を示す結果となった。政府は緊急に新型インフルエンザワクチンの大量輸入を行ったものの、実際にはワクチンの供給に対して需要が低く、多くの廃棄を出した。

要するに、「ワクチンを接種すべき」との理論においても予測性が高いとはいえず、ともすれば「過剰な予防原則」を流布する可能性もある。ただし、このように感染症による被害にあえて重きを置くことが「理論」であるため、致し方ない結果ともいえる。過去には、重篤な副反応の報告によって百日咳ワクチンの定期接種が中断された結果百日咳が流行した歴史もあり、感染症の予測という面において予測性の高い科学理論が形成できているとはいえない。

ワクチン接種における推進であるとの見解も有害であるとの見解も、ともに予測性は低い。これは、感染症の被害影響を精確に評価することは現代科学でも困難であることを物語っており、そのため、優劣の判断も非常に困難な事象といえる。

社会的観点

社会での公共性 C(中)

現在、ワクチン接種における有害事象は厚生労働省((独)医薬品医療機器総合機構)にて一元管理されており、定期的に副反応を評価する体制が整ってきている。これは、ワクチン接種における副反応事例の研究を重視しての施策であり、極めて公共性の高い状況下に置かれている。

しかし、主にマスメディアを中心とする報道において、感情的な議論を誘発するような見方が先行しており、「ワクチンが有害である」という言説がコントロールされないまま流布される遠因となっている。特にHPVワクチンにおける議論でこれが顕著であり、日本のこうした状況はWHOから名指しで批判されている。WHOの見解がすべてであるとはいえないが、ワクチンに対する批判的思考が、日本においては建設的に展開されていないことが省察できる。

以上から、公共性という問題においては、(歴史的に見ても)メディアの責任が重く、科学における報道のあり方を見直すべき事柄といえる。

議論の歴史性 A (高)

ワクチンが有害であるとの主張やそうした主旨の活動は、世界的に古くから存在していた9。日本でもワクチンの有効性についての議論は過去に何度も行われてきた。建設的な議論によってよりよいワクチン開発につながったものもあれば、誤った結論に至りその後不利益が招かれたものまでさまざまである。前者の代表例は百日咳ワクチンや日本脳炎ワクチンであり、後者の代表例はインフルエンザワクチンである。

[百日咳ワクチン]
1950年ごろに開発された百日咳ワクチンは「全菌体不活化ワクチン(DwPT、DTwp)」であったが、重篤な副反応が多く報告された。個々の事例において各地で訴訟が提訴され、それが法改正にもつながった。その後、「無細菌ワクチン(DaPT、DTaP)」が開発され、以降、重篤な副反応の報告はほぼ皆無となった。

[インフルエンザワクチン]
インフルエンザワクチンは長年集団接種であったが、1994年の予防接種法改正によって対象疾病から除外された。この背景には、「理論の論理性」で述べたような有効性に関する誤解が大きな要因としてあった。
2001年の法改正によって、高齢者のインフルエンザワクチン接種が一部公費負担によって実施されることとなった。これは、ハイリスク群を重点的に扱うという方針である。日本におけるインフルエンザワクチンの有効性はおおよそ、生後6ヵ月~6歳未満で25%程度、6歳~12歳で67%、19歳~76歳で63%、65歳~79歳で62%程であり、乳幼児と高齢者において有効性は低くなるが、症状が重篤化しやすいのもこの層である。そのため、前述のような方針が示されているが、この理解が浸透しているとは言い難い。また、集団接種の中止以降、インフルエンザの死亡率が上昇しており、ワクチン接種率の低下との関連性を指摘するものもある。

このように、ワクチンについては多方面で議論があり、それによって国の指針が決定されてきたという経緯もある。現行制度の是非は置いておくとしても、歴史的には数多くの議論が展開されてきたといえる。

社会への応用性 D(低~中)

何であれ、個別のワクチンの「害」について繰り返し評価を行うことは必要である。ワクチンの性質上、効果の社会的有用性は流動的であり、副反応などへの適切な評価も続けて検討されなければならない。また、未知の副反応を検出するという意味においては、個別のワクチンの有害性を訴えることにも一定の意義がある。

しかし、予防接種・ワクチンへの理解が低いことが推察される現状の日本で「(過度な)有害説」をあえて主張するメリットは、かなり少ない。ワクチン接種における過剰な危険性が優先されると、たとえ安全性が確認されたとしても、その後のフォローが不十分になる可能性が高く、不明確な言説のみが広がってしまう。

また、この問題にはマスメディアを中心とする報道の責任も大きく、単に医療や科学の領域で片付くものとも考えにくい。副反応におけるショッキングな事例を情緒的に伝えることも、マイノリティの尊重という観点から必要である。しかし、そうであるならば、その影響によって、ワクチンを打ちたくとも打てないマイノリティの「目に見えない」危険がなおざりにされてしまうのだということも、同時に認識されなければならないだろう。

総評 疑似科学

ワクチンは、有効であればあるほど、時間の経過によってその効果が実感されにくいという特殊な性質をもっている。また、どのような選択においてもトレードオフの感が否めず、単に科学的であるかどうかだけでは語れない問題といえるだろう。

ワクチン接種の是非において議論がかみ合わないのは、確率的に被害に遭う人もいるが、全体としてプラスであるから仕方がないという、そもそもの考え方をどうとるかによって見解が真逆になるからである。そういうわけで、範囲が限定的なワクチンに対しては特に厳しい目が向けられることも、ある意味うなずける。特にHPVワクチンを取り巻く状況が、こうした傾向性を顕著に表しているといえる。

ただし、日本においてはワクチンの効果に対する理解の低さも問題だろう。個々のワクチンはその感染症に対して無敵の強さを誇るものではなく、設定された用途や目的のために使用されているという実態把握も必要であり、そうした理解によって、「危険に対する適当な応答」も促されるのである。本項では「疑似科学」と評定するが、副反応被害を軽んじることなく、適切な合意形成に向けた議論は必要である。

 

参考文献/関連文献

  1. 藤井俊介『まちがいだらけの予防接種 子どもを愛するすべての両親へ』さいろ社2003
  2. 黒部信一『予防接種のえらび方と病気にならない育児法』現代書館2015
  3. 黒川祥子『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』集英社2015
  4. 母里啓子『子どもと親のためのワクチン読本』双葉社2013
  5. 今野良/編著『知っておきたい子宮頸がん診療ハンドブック』中央医学社2012
  6. 宮城悦子『よくわかる最新医学~子宮がん』主婦の友社2010
  7. 名古屋市「子宮頸がん予防接種調査を実施します」(2016-6-7参照)
  8. 厚生労働省「平成28年3月16日の成果発表会における発表内容について」
  9. ナカイサヤカ「反ワクチン運動の歴史とニセ科学性」『RikaTan』SAMA企画2016