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がんもどき

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

がんもどきとは、ヒトにできる癌の中で「本物のがん」ではない“モドキのがん”のことを言う。日本の医師、近藤誠氏によって提唱されているが、実際にその存在が確かめられているわけではない。また、がんもどき自体を正確に定義することは難しく、近藤氏の記述や発言からおおよその概念を推定するしかない。これまでのところがんもどきとは、

  • 見た目は本物のがんと見分けがつかないが、性格は決定的に異なる
  • がん幹細胞に転移能力がないものはがんもどき(放っておいても転移しない)
  • 自覚症状がなくて、検査でしか発見されないようながんは基本的に本物のがんではない
  • 非浸潤がん、上皮内がん、粘膜内がん、乳管内がんは100%がんもどき
  • ステージⅠで本物のがんは5%ほど
  • はじめはがんもどきであっても途中から本物のがんになることもある
  • 本物のがんは治療しても治らず、がんもどきは放置してもよい

などとおおまかに定めることができる。また、がんもどき理論では、それに付随する治療法として「放置療法」が提唱されている。簡単にいうとこれは「がんが見つかっても積極的な治療は一切行わず、放置する」という方針のことである。

このようながんもどき理論は近年かなりの話題を集めており、近藤氏の著書で、たとえば『医者に殺されない47の心得』などベストセラーとなった書籍もある1。本項では、このがんもどき理論とそれに付随した放置療法について評定する。評定内では加えて、現在の標準的ながん治療に対する説明も行う。というのも、がんもどきや放置療法の支持背景には標準医療への市民の不満や不信が潜在しており、実際、そうした“民意”が利用される形で議論が展開されているからである。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 E(低)

近藤氏が前提としているのは「がんもどき」が「本物のがん」とは異なる概念であるということである。がんもどきは「見た目は本物のがんと区別できないが性格は決定的に異なる」であり、外見ではなく特性が異なる。その特性とは「がんもどきは転移しない」ということであり、ゆえに積極的に治療せずに放置するという「放置療法」が同時に提唱されている。

一般的に、がんが疑われる患者は「血液検査」「画像診断」「生検・病理診断」などの検査を経る。血液検査でがんの診断に有用な情報を集め1、病気の大きさや広がり具合を把握するために画像診断が用いられる2。最終的に、病理診断によって確定診断に至る。この過程で(通常は)転移しない「良性腫瘍3」の可能性や、「早期がん」であるか「進行がん」であるかなどが検討される。特に、「TNM分類4」というがんの病期分類は患者にとっての標準的な指標としてよく用いられる。
TNM分類はT=原発腫瘍の進展範囲、N=リンパ節転移の有無、M=遠隔転移の有無をそれぞれ意味しており、予後や生存率の観点からこれらの評価を総合してステージ○○という診断となる。大きく分けるとステージ0~ステージⅣの5段階に分類されるが、部位によってはステージⅠaなどさらに細かく分かれる場合もある。一般的にステージⅠ~Ⅱは早期がん、ステージⅢ~Ⅳは進行がんと呼ばれ、治療方針や予後に対する考え方の基本となるが、こちらも発生部位や患者の状態によって異なる。ちなみに、こうした区分はあくまでも治療の目安であって、「ステージⅢだから重症」と必ずしも言い切れるわけではないことにも注意する必要がある。

さて、これまで主張されているがんもどき理論から、少なくともステージ0やステージⅠの多く(95%)はがんもどきであるといえる。一方、遠隔転移の認められるステージⅣは本物のがんということになり、がんもどき理論に従うと「治療しても治らないがん」であるはずである。しかし「はじめはがんもどきであっても途中から本物のがんになることもある」ともされており、これらの分類も絶対的ではない。
問題は、「本物のがん」か「がんもどき」かはあらかじめ区別できないということである。発見当時は転移していないがんもどきでも時間経過によって転移する可能性は否定できず、“転移してから”本物のがんというふうに解釈を変更できてしまう。がんという病気を考えるうえで当然考慮すべき「時間経過」という要素ががんもどき理論には入っておらず、後付けによる説明がいくらでも可能となっている。要するにがんもどき理論とは“見つかった時の状態を都合よく解釈している”に過ぎず、何があっても否定されない反証不可能な構造であるといえる。これでは論理的な説明とはいえず、なんでも説明可能な万能理論であることが指摘(批判)できる。

ちなみに、がんの浸潤・転移5にはEMT(上皮間葉転換)6が深くかかわっていると考えられており 、それを誘発する因子の解明も進められているが、がんもどき理論はこうした生物学的な視点には触れられておらず(他臓器に)転移したかどうかだけが焦点となる。そのため、医学研究の発展に関わらず今後の説明力も低いと思われる。

 
  1. 1:たとえば、一般にがん患者の半数は貧血を示す。また、多くの進行がんで白血球の増加やリンパ球の相対的低下が認められる。
  2. 2:画像診断には超音波検査、内視鏡検査、CT検査、MRI検査などさまざまな種類があり、それぞれのがんの特徴によってこうした診断が組み合わされるのが一般的である。たとえば、同じ胃がんでも粘膜面に病変が露出することの少ない「スキルス胃がん」の診断には内視鏡検査よりも胃X線検査のほうが向いているなどの性質がある。
  3. 3:腫瘍とは“できもの”のことであり、一般に「良性腫瘍」といった場合、転移や浸潤傾向を示さないもののことを指す。ただし「良性腫瘍」と「悪性腫瘍」を(臨床的に)線引きすることは難しく、良性腫瘍が悪性化することもしばしば起こりうる。近藤氏の述べている「がんもどき」とは良性腫瘍のことではなく、悪性腫瘍(=がん)における“モドキ”のことである。
  4. 4:原発腫瘍(T)はTX~T4、リンパ節転移の有無(N)はN0~N3、遠隔転移の有無(M)はM0とM1という分類によってそれぞれ評価される。
  5. 5:がん細胞はまず「浸潤」によって基底膜に穴をあけ、周囲の組織に溶け込んで増殖していく。その後、原発から離れた場所でがん細胞が増殖し、これを「転移」という。浸潤と転移はがん細胞が全身に広まる過程の説明であるが、がんもどき理論では「他臓器への転移」のみしか対象としておらず、浸潤に対する位置づけが不明瞭である。
  6. 6:EMTとはEpithelial-Mesenchymal Transitionの略である。

理論の体系性 D(低~中)

がん治療という観点からみると、がんもどき理論が前提としている本物のがんとがんもどきという二分化は不合理な分類である。たとえば、近藤氏に批判を寄せている医師の一人である勝俣範之氏はがん治療の考え方として

  • ①放っておいても進行しないがん
  • ②放っておいたら進行するけど、積極的治療で治るがん
  • ③積極的治療でも完治は難しいが、治療によって延命・共存できるがん
  • ④積極的治療を行っても、完治も延命も治療もできないがん
という4パターンを挙げており2、がんもどき理論の視野の狭さを批判している。少なくとも、②と③の視座ががんもどき理論には欠けており、現代の標準医療の考え方とは合致しない主張であると考えられる。

確かに、かなり稀であるが「自然退縮」したがんの症例はあり3、そういう意味で「治療しなくてもよいがんもどき」の存在を荒唐無稽な作り話だと断じることはできない。しかしそれは、可能性としてゼロではないという消極的な見解に過ぎず、がんもどきの存在を積極的に肯定する根拠ともならない。

また、がんもどき理論に付随して提唱される「放置療法」だが、こちらも現代の医学的観点と整合的ではない。現在、がんの標準治療において「放置(経過観察)」が推奨されるのは低リスク前立腺がんにおけるPSA監視療法のみであり、その他のがん治療ではがんの進行具合や患者の状態を踏まえながら選択される。そもそも、「がんには本物のがんとがんもどきがある」という主張自体ががんもどき理論における解釈に過ぎず、正当化されていないのである。

理論の普遍性 E(低)

論理性の項目で触れたように、がんの浸潤・転移に関わる因子の特定が進んでいる。がん細胞が遠隔臓器に転移する場合、①原発巣からの離脱と間質への浸潤、②血管内(血行性の場合)への侵入、③転移先臓器の血管への定着、④血管外への移動、⑤転移先臓器での定着と増殖などの過程を経ると考えられており、このメカニズムに上皮間葉転換(EMT)が深く関わっていることが示唆されている。EMT自体は広範に起こる生理作用であるが、たとえばE-カドヘリンの失活やp537の失活がEMTを誘導し、それががん細胞の転移能力の獲得につながるという議論が行われている。つまり、「どのような場合にがんが転移するか」という研究は着実に進んでおり、将来的に(より詳細に)がんの状態に沿った治療法が開発される期待がもてる。

それと比較すると、何であっても放置療法を選択するしかないというがんもどき理論の普遍性は極めて低く、その場しのぎの説明を行っているに過ぎないことが指摘できる。本物のがんは見つかった時点で治らないため「放置」、がんもどきであっても転移する恐れがないため「放置」、という患者個別の病態に一切配慮しない方針が選ばれるだけである。

  1. 7:p53は広義にはタンパク質の一種で、がん遺伝子研究において最も重要な分子の一つである。最も有名ながん抑制遺伝子として位置づけられており、多くのがんにおいてこの遺伝子の欠損や突然変異がみられる。機能解明が積極的に進められている遺伝子である。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 E(低)

たとえば、ごく稀にがんの自然退縮という症例はみられ、これを「がんもどきである」と換言できなくもないが、少なくとも「非浸潤がんは100%がんもどき」や「ステージⅠで本物のがんは5%ほど」といった諸々の説が確かめられているわけではない。非浸潤がんやステージⅠのがんも“見つかった時の状態”であり、放っておくと進行がんになる可能性もある(実際、しばしば起こっている)。たとえば日本で行われた研究では、56人の早期胃がん患者が何らかの理由で放置された結果、36人が平均3.7年の間に進行胃がんへと変化している4

また、がんもどき理論提唱者の近藤氏は自説の補強のために日本のがん治療を批判(特に「抗がん剤は効かない」という旨の主張を繰り返し行っている)しているが、現在の標準的ながん治療は多くの研究によって効果が確かめられている。たとえば、大腸がん患者と胃がん患者を対象としたメタ分析の結果、大腸がん患者では緩和ケアのみ(≒放置)に比較して抗がん剤の使用が35%の死亡率を下げ5、胃がん患者では緩和ケアのみ(≒放置)に比較して抗がん剤の使用が61%の死亡率を下げる結果となっている6。さらに、これまでの研究から、抗がん剤の単独利用の効果については以下の知見が得られている7

抗がん剤の単独使用
A群:
治療が期待できる
急性骨髄性白血病 急性リンパ性白血病 ホジキンリンパ腫 非ホジキンリンパ腫(中・高悪性度) 胚細胞腫瘍 絨毛がん(じゅうもうがん)
B群:
延命が期待できる
乳がん 卵巣がん 小細胞肺がん 大腸がん 多発性骨髄腫 慢性骨髄性白血病 非ホジキンリンパ腫(低悪性度) 骨肉腫 悪性黒色腫
C群:
症状緩和が期待できる
軟部組織腫瘍 頭頸部がん 食道がん 子宮がん 非小細胞肺がん 胃がん 腎がん 膀胱がん 前立腺がん 膵がん 肝細胞がん 胆道がん 脳腫瘍 甲状腺随様がん
D群:がん薬物療法の
期待が小さい
甲状腺がん

この区分は研究の進捗とともに変化しており、多くの質の高い成果によって効果が担保されている。ちなみに放置療法についても、医学的根拠(エビデンス)の観点から前立腺がんにおけるPSA監視療法は推奨されている。ただしこれは過剰治療の回避や性機能維持という明確な目的を有しており、その意味でがんもどき理論における放置療法とは差別化される。

データの客観性 E(低)

現在の信頼できる臨床試験ではランダム化比較対照試験(RCT)が主流である。加えて「Intention-to-treat(インテンション・トゥ・トリート)分析」8が行われる。これらの手法によって客観性の高い結果が得られる。
また、患者の生存曲線は「カプランマイヤー法」で描かれる。これは、臨床試験の途中経過を評価するのに有効である。たとえば、ある薬剤投与後の5年生存率を調査する場合、すべての被験者を5年間追跡するのは現実的に困難である。試験とは無関係の原因で死亡する可能性(交通事故など)や転院などによって追跡不可能になる場合があり、そういった要素による影響をグラフ上で理解するために用いられる。

  一方、がんもどき理論を裏付ける質の高い研究はなく、放置療法の効果については「個人の感想」といった客観性に疑問のある情報しか提示されていない。データを恣意的に解釈できうるという点で標準的ながん治療研究とは異なっており、厳密性が担保されないという大きな問題がある。

  1. 8:臨床試験開始前に登録された患者データをいかなる理由があろうと勝手に解析から外さないという手法である。実際の臨床現場では、たとえ無作為に被験者を配置しても計画通りに治療が進められないことがある。「対照群」に割り当てられた被験者が何らかの理由で「治療群」に変更になることや,治療を完遂できなかったり途中で治療法を変更する可能性もある。インテンション・トゥ・トリート分析はこれらすべてを「当初割り当てられた群」として解析を遂行するという手法である。
    たとえば、「新しい治療(被験者A、B、C)」と「これまでの治療(被験者D、E、F)」として無作為に被験者を分けたとする。臨床試験遂行中、「最初から最後まで続けた(A)」、「治療を変更した(B)」、「治療から脱落した(C)」、「最初から最後まで続けた(C)」、「治療を変更した(E)」、「治療から脱落した(F)」となったとする。このときの解析を、途中がどのような経緯であったかに関わらず最初に割り当てられた「A、B、C」と「D、E、F」によって行うのである。
    この手法は、「新しい治療」と「これまでの治療」の効果に差はない、という帰無仮説の検定に有用である。「新しい治療」は「これまでの治療」よりも効果があるという対立仮説では、実際に最後まで治療を受けたAやDの比較だけでは治療効果を過大評価する危険性がある。一方、インテンション・トゥ・トリート分析ではさまざまな要因が混ざってしまうため、「薄まった効果」(過小評価)が検出されることとなる。対立仮説のもとでどのような解析を行おうともバイアスが入り込むのであるが、この解析のもとで「効果あり」と結論付けられれば、その結果はより強固となるのである。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 E(低)

がんもどき理論とそれに伴う放置療法について評価した医学研究はみられない。患者個人のエピソードが語られるだけであるが、その中で「いのちを楽しむ~容子とがんの2年間」という映画作品がある8。ここでは40歳の時に5ミリの乳がんが発見された主人公の女性ががんもどき理論と放置療法に賛同し、一切の積極的治療を行わずに18年後に亡くなるまでの最後の2年間が描かれている。
個人の選択であるがゆえ、主人公の女性の行動の良し/悪しを評価することはできないが、がん自体を医学的観点からみると、発見当時の彼女の乳がんはステージ1のごく初期のもので、5年相対生存率は98.2%である。多くのがんは5年を過ぎるとほとんど再発しないため、治療を受けていれば完治していた可能性がかなり高い。当然、これは可能性の話であって個別の患者に適用できるわけではないが、逆に、この事例データをもってがんもどき理論や放置療法の有効性が担保されるわけでもなく、こうした事例を引用しがんもどき理論に賛同してもデータの妥当な評価とはいえない。

理論によるデータ予測性 D(低)~(中)

がんもどき理論に従うと、結局すべてのがん患者の選択が「放置」となってしまうが、「放置したほうが〇〇によい」といった個別事象のデータは示されない。そのため、放置することが放置しないことに比べて何が良いのか予測できず、たんに副作用に苦しむことがないという限定的な効果に留まる。

一方、近年の抗がん剤研究では、抗がん剤の三大副作用といわれる「吐き気」「脱毛」「白血球減少」を低減する薬の開発も行われている。たとえば「5HT3受容体拮抗薬」は抗がん剤による吐き気を減少させる。“抗がん剤使用患者”のうちの“吐き気の副作用がみられる対象”を軽減するという成果は、予測性の高い研究・開発によって可能となる。

社会的観点

社会での公共性 E(低)

がんもどき理論と放置療法は提唱者の近藤誠氏によってのみ展開されている独論であり、一方的に主張されているのが実態である。そのため公共性も極めて低いと評価せざるを得ないが、ここでは比較対象として現在の標準的ながん治療研究における構図を解説する。というのも、近藤氏は標準的ながん治療研究の構図を「抗がん剤ワールド」などと批判することで自身の主張の正当性(科学性)を担保しているからである。

現在、新薬の開発にかかわる研究は「ICH-GCP」という統一的な国際基準に沿って行われている。これは、人間を対象とする臨床研究の際のデータの信頼性と被験者の人権保障を確保するための国際的な公的基準(GCP9)と、国際的に統一された新薬開発許可の手続き(ICH10)という二つの理念を組み合わせたガイドラインである。1996年の横浜合意以降、国内法をICH-GCPに合致させる形で変更する動きが世界各国で行われており、むしろオーバークオリティと評されるほどの質が確保されている。このICH-GCPの広まりにより、現在の医薬品開発研究は非常に厳密に規制されており、ねつ造などが入り込む余地のないほど厳しいものとなっている。

このように医学分野の研究は非常に公共性の高い体制となっているが、個別の問題がまったくないわけでもない。たとえば日本では、ICH-GCPは新薬の「治験」にのみに適用されるため、臨床試験という意味では世界から後れを取っている。そもそも日本は基礎医学研究に偏重しており、臨床試験が圧倒的に少ないという特徴がある。しかも多くの研究は製薬会社主導で行われており、研究者・医師主導の研究が圧倒的に少ない11のが現状である。
ただし、個別の問題はあるにしてもICH-GCPが広まる前の1980~1990年代と比べて現在の医学分野の研究は質が大きく向上しており、総じて公共性の高い枠組みであると評価できる。がんもどき理論の攻撃対象となる治療の体制はあらかた改善されてきており、がんもどき理論自体が公共的な取り組みとなっていないという問題も解消されない。

 
  1. 9:Good Clinical Practice for Trials on Medical Products in the European Community(=欧州共同体医療製造物に関する研究のための良き臨床上の基準)の略である。
  2. 10:International Conference on Harmonization of Technical Requirement for Registration of Pharmaceuticals for Human Use(=人間に使用する医薬品承認に関する手続条件を一致させる国際会議)の略である。
  3. 11:たとえば、2012年の日本での治験総数は556件だったが、うち医師主導試験は31件のみであった。また、「ゼローダ」「イリノテカン」「オキサリプラチン」などは日本で開発されたにもかかわらず海外で先に承認(治験)されている。

議論の歴史性 E(低)

がんもどき理論の提唱者である近藤氏が「がんもどき」という語句を明確に使い始めたのは1990年代である。がんもどきや放置療法に対してはこれまでにさまざまな批判が行われているが、その批判に対し理論やデータが改められたことはなく、後付けの説明がつぎはぎされているだけである。また、がんもどきの存在について発表された学術論文は存在せず、想像の域を出ていないため歴史性も低い。

社会への応用性 E(低)

がんもどき理論や放置療法を社会的に広める意義はほとんどない。がんの病態によっては患者のQOL(生活の質)を重視し積極的治療を行わない場合もあるが、がんもどき理論を正当化できるほどの根拠にはならない。また、転移のある進行がん患者であっても積極的治療によって治癒する可能性があり、がんもどき理論が広まることはこうした患者の可能性をも摘み取ってしまう恐れがある。

現在、標準的ながん治療の現場では、①外科的手術、②放射線治療、③抗がん剤使用などを中心に、患者側の要素と疾患側の要素を複合的に検討して治療方針が決定される。患者側の要素とは年齢、既往歴、家族歴などのことであり、疾患側の要素とはがんの発生部位、ステージ、組織型などのことである。たとえば、15年間慢性腎不全で人工透析を行っている85歳の男性に早期胃がんが見つかった時に手術するか否かは専門家でも意見が分かれる。
要するに、個別の患者の治療方針はさまざまな要因を考慮しつつ決定されているのであり、かなりテーラーメイドな医療であると換言することもできる。最近では医師、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカーなどの専門家同士が患者の治療について話し合う「キャンサーボード」の試みも広まりつつあり、個々人に適した治療が実現されている。

それと比較すると、がんもどき理論と放置療法では「積極的治療を行わない」という画一的な見方しか提供されておらず、真に患者のQOLに配慮しているのかという疑問が残る。がんもどき理論の思想には「がんを根治できなければ敗北」という背景も見受けられ、極端な結論しか導き出されない構図となっている。「治らない」=死(絶望)ではなくなってきている近年の治療の実態において、治るか/治らないかという2択を迫るがんもどき理論の応用性は低いといえる。

総評 疑似科学

仮に、がんもどきの提唱者である近藤氏が「幸せな生き方のススメ」などといった思想的な意味合いで自身の主張を展開しているだけであれば、(倫理的問題はさておき)現在のように多くの医療者が批判する構図とはならなかったと思われる。しかし実際には医学的知見の恣意的な引用(誤用)や科学理論を装った形での自説の展開によって信頼性を担保しようとしており、「科学」という視座から問題であるといえる。特に、がん治療の領域ではこうした言説の蔓延が直接患者の生死にかかわるため、社会的な問題として軽視できない。

確かに、現在の標準的ながん治療はまだまだ患者の満足いく水準にないのかもしれず、過剰医療との結びつきが指摘できる。患者だけでなく医療者においても「適切な治療」の判断は難しいところではあり、特に、根治が困難な症例では不確実さが伴う。

そういう意味で、現在の標準的ながん治療に対する近藤氏の批判がまったくのデタラメであるかというとそうともいえない。たとえば、乳がんや甲状腺がんの検診では過剰診断のリスクがあまり考慮されずに推奨されているという批判や、がん治療の有効性を5年生存率ではなく全生存率で推し量るべきという意見などは妥当だと思われる。また、かつて「クレスチン」という抗がん剤における比較対照試験の結果の誤りを指摘したり、インフォームドコンセントの重要性を日本でいち早く説いたりと、日本の医学界に近藤氏が残した功績にも特筆すべきものがある9

そもそも、近藤氏の初期の著書には「がんもどき」や「放置療法」などという語句は登場せず、たとえば1988年に出版された最初の著書『がん最前線に異状あり』では、「私は癌を特殊な疾患とは思っていません。むしろ治る可能性のある、治療しがいのある病気と考えています(p11)」や「四期の五年生存率をみると、肺癌では二パーセントと確かに低いが、胃癌では十四パーセント、子宮癌では十八パーセントと、治癒している人は結構多い(p97)」など、現在の主張とは矛盾しうる見解を述べている。同書ではがん治療に関する民間療法にも否定的な意見を寄せており、「丸山ワクチン」や「絶食療法」の危険性についても触れつつがん治療の意義を述べている。

このように、近藤氏の主張には一部妥当と受け取れる面もあり、しかしそれが問題を大きくしている根源だとも推測できる。現在のがん治療は決して万能ではなく、その意味である側面からの批判も的を射ているのであるが、だとしてもがんもどきを支える科学的根拠にまではならないことは強調すべきである。インターネット上のがん情報で、正しい情報にあたるのは50%以下という研究報告があるが10、がんもどき理論と放置療法がまさにそうした疑わしい情報の典型であるといえよう。

 

参考文献/論文

  1. 日本経済新聞「年間ベストセラー、1位は村上春樹さん多崎つくる 」2013
  2. 勝俣範之『医療否定本の嘘~ミリオンセラー近藤本に騙されないがん治療の真実』扶桑社2015
  3. Challis GB, Stam HJ. The spontaneous regression of cancer. A review of cases from 1900 to 1987. Acta Oncol 1990(29), 545-550;Diede SJ. Spontaneous regression of metastatic cancer: learning from neuroblastoma. Nat Rev Cancer 2014:14(2), 71-72
  4. Tsukuma H, Oshima A, Narahara H, Morii T. Natural history of early gastric cancer: a non-concurrent, long term, follow up study. Gut 2000:47, 618-621
  5. Simmonds PC. Palliative chemotherapy for advanced colorectal cancer: systematic review and meta-analysis. Colorectal Cancer Collaborative Group. British Medical Journal 2000:321, 531-535
  6. Wagner AD, Grothe W, Haerting J, Kleber G, Grothey A, Fleig WE. Chemotherapy in advanced gastric cancer: a systematic review and meta-analysis based on aggregate data. J Clin Oncol 2006:24, 2903-2909
  7. 国立がん研究センター内科レジデント『がん診療レジデントマニュアル』医学書院2010
  8. シネルフレ『いのちを楽しむ―容子とがんの2年間―』映画レビュー
  9. 近藤誠『がん最前線に異状あり』廣済堂出版1988
  10. Goto Y1, Sekine I, Sekiguchi H, Yamada K, Nokihara H, Yamamoto N, Kunitoh H, Ohe Y, Tamura T. Differences in the quality of information on the internet about lung cancer between the United States and Japan. J Thorac Oncol 2009(7), 829

関連文献/リンク

  1. 勝俣範之『抗がん剤は効かないの罪~ミリオンセラー近藤本への科学的反論』毎日新聞社2014
  2. 近藤誠『がん治療「常識」のウソ』朝日新聞社1994
  3. 近藤誠『患者よ、がんと闘うな』文藝春秋1996
  4. 近藤誠『がんより怖いがん治療』小学館2014
  5. 近藤誠『がん治療の95%は間違い』幻冬舎2015
  6. 日本臨床腫瘍学会『新臨床腫瘍学(改訂第4版)~がん薬物療法専門医のために』南江堂2015
  7. 大場大『がんとの賢い闘い方~「近藤誠理論」徹底批判』新潮社2015
  8. 斎藤建『がんもどき理論の誤り』主婦の友社1996
  9. 渋谷正史・湯浅保仁『がん生物学イラストレイテッド』羊土社2011
  10. 国立がん研究センターがん対策情報センター
  11. 畔柳達雄「新薬の開発とGCP」