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温泉

言説の一般的概念や通念の説明

語句説明

温泉、主に温泉の効能、健康効果について扱う。日本における温泉は「温泉法」によって、以下のように定義されている1

第二条この法律で「温泉」とは、地中からゆう出する温水、鉱水及び水蒸気その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く。)で、別表に掲げる温度又は物質を有するものをいう。

※別表

1. 温度(温泉源から採取されるときの温度)

摂氏25度以上

2. 物質(以下に掲げるもののうち、いずれか一つ)

物質名

含有量(1kg中)

溶存物質(ガス性のものを除く。)

総量1,000mg以上

遊離炭酸(CO2)(遊離二酸化炭素)

250mg以上

リチウムイオン(Li+

1mg以上

ストロンチウムイオン(Sr2+

10mg以上

バリウムイオン(Ba2+

5mg以上

フェロ又はフェリイオン(Fe2+,Fe3+)(総鉄イオン)

10mg以上

第一マンガンイオン(Mn2+)(マンガン()イオン)

10mg以上

水素イオン(H+

1mg以上

臭素イオン(Br-)(臭化物イオン)

5mg以上

沃素イオン(I-)(ヨウ化物イオン)

1mg以上

ふっ素イオン(F-)(フッ化物イオン)

2mg以上

ヒドロひ酸イオン(HASO42-)(ヒ酸水素イオン)

1.3mg以上

メタ亜ひ酸(HASO2

1mg以上

総硫黄(S)[HS-+S2O32-+H2Sに対応するもの]

1mg以上

メタほう酸(HBO2

5mg以上

メタけい酸(H2SiO3

50mg以上

重炭酸そうだ(NaHCO3)(炭酸水素ナトリウム)

340mg以上

ラドン(Rn)

20(百億分の1キュリー単位)以上

ラジウム塩(Raとして)

1億分の1mg以上

現行の温泉法の解釈では、①湧出時の泉温が25度以上1である、②指定された特定の成分や溶存物質の総量が規定以上にある、という項目のうちいずれか一つを満たしていれば温泉となる23。つまり、水蒸気やガスなどの液体状態でないものも温泉に含まれる。 本項では、この「温泉法」を踏まえ、温泉の、特に健康効果あるいは温泉の療法的な考え方、および、これらの前提となっている「温泉法」そのものへの評定を行う。

  1. 1:この25度以上という基準は、温水の平均気温説にもとづいており、世界統一基準ではない。たとえば台湾の温度基準は30度以上となっている。

効果の作用機序を説明する理論の観点

理論の論理性 D(低~中)

温泉の健康効果については、いくつかの視点から議論が必要である。初めに、前提となる「温泉法」について言及する。

「温泉法」における温泉の定義は語句説明で述べたとおりである。しかし、現行の温泉法解釈によると、前述①、②の条件のうちいずれか一つでも満たしていれば「温泉」となる。そのため、温度が25度以上であればたとえ医薬効果の有効性を担保する物質が一つも存在しなくても温泉と認められ、「温泉法」による適用を受けることとなる。また、「温泉法」第18条(温泉の成分等の掲示)では以下のような規定がある。

  • 第十八条温泉を公共の浴用又は飲用に供する者は、施設内の見やすい場所に、環境省令で定めるところにより、次に掲げる事項を掲示しなければならない。
  • 一 温泉の成分
  • 二 禁忌症
  • 三 入浴又は飲用上の注意
  • 四 前三号に掲げるもののほか、入浴又は飲用上必要な情報として環境省令で定めるもの
  • 2 前項の規定による掲示は、次条第一項の登録を受けた者(以下「登録分析機関」という。)の行う温泉成分分析(当該掲示のために行う温泉の成分についての分析及び検査をいう。以下同じ。)の結果に基づいてしなければならない。
  • 3 温泉を公共の浴用又は飲用に供する者は、政令で定める期間ごとに前項の温泉成分分析を受け、その結果についての通知を受けた日から起算して三十日以内に、当該結果に基づき、第一項の規定による掲示の内容を変更しなければならない。
  • 4 温泉を公共の浴用又は飲用に供する者は、第一項の規定による掲示をし、又はその内容を変更しようとするときは、環境省令で定めるところにより、あらかじめ、その内容を都道府県知事に届け出なければならない。
  • 5 都道府県知事は、第一項の施設において入浴する者又は同項の温泉を飲料として摂取する者の健康を保護するために必要があると認めるときは、前項の規定による届出に係る掲示の内容を変更すべきことを命ずることができる。

ここでは「成分の掲示」に主眼が置かれているため特定の医薬的効能については明示化されていない。ただし、温泉の「飲用」および「禁忌症」の掲示について記述されている。
また、環境省によると、第18条において温泉の適応症における掲示の義務付けをしない理由について、温泉に何らかの医薬的効果があることを暗黙の前提としていることがうかがえ2、“公衆衛生の確保のためであるとの考え”といった表現の背景が推定される。

要するに、地中から湧き出た摂氏25度以上のただの水が、「温泉法」の定める“温泉”とされ、「飲用」や「禁忌症」の対象となり、医薬的効果が保証されることになるという原理上の問題を抱えているといえる。
さらに、「環自総発第1407012号平成26年7月1日付け環境省自然環境局長通知」では「温泉法」第18条、及び「鉱泉分析法指針(平成26年改訂)」について、次のような「技術的助言」を送っている4

  • 3.療養泉の適応症 温泉療養を行うにあたっては、以下の点を理解して行う必要がある。
  • ① 温泉療養の効用は、温泉の含有成分などの化学的因子、温熱その他の物理的因子、温泉地の地勢及び気候、利用者の生活リズムの変化その他諸般によって起こる総合作用による心理反応などを含む生体反応であること。
  • ② 温泉療養は、特定の病気を治癒させるよりも、療養を行う人の持つ症状、苦痛を軽減し、健康の回復、増進を図ることで全体的改善効用を得ることを目的とすること。
  • ③ 温泉療養は短期間でも精神的なリフレッシュなど相応の効用が得られるが、十分な効用を得るためには通常2~3週間の療養期間を適当とすること。
  • ④ 適応症でも、その病期又は療養を行う人の状態によっては悪化する場合があるので、温泉療養は専門的知識を有する医師による薬物、運動と休養、睡眠、食事などを含む指示、指導のもとに行うことが望ましいこと。
  • ⑤ 従来より、適応症については、その効用は総合作用による心理反応などを含む生体反応によるもので、温泉の成分のみによって各温泉の効用を確定することは困難であること等から、その掲示の内容については引き続き知事の判断に委ねることとしていること。

(1)療養泉の適応症の掲示基準

①療養泉の一般的適応症(浴用)
筋肉若しくは関節の慢性的な痛み又はこわばり(関節リウマチ、変形性関節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲、捻挫などの慢性期)、運動麻痺における筋肉のこわばり、冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下(胃がもたれる、腸にガスがたまるなど)、軽症高血圧、耐糖能異常(糖尿病)、軽い高コレステロール血症、軽い喘息又は肺気腫、痔の痛み、自律神経不安定症、ストレスによる諸症状(睡眠障害、うつ状態など)、病後回復期、疲労回復、健康増進
②泉質別適応症
泉質浴用飲用
単純温泉自律神経不安定症、不眠症、うつ状態
塩化物泉きりきず、末梢循環障害、冷え性、うつ状態、皮膚乾燥症萎縮性胃炎、便秘
炭酸水素塩泉きりきず、末梢循環障害、冷え性、皮膚乾燥症胃十二指腸潰瘍、逆流性食道炎、耐糖能異常(糖尿病)、高尿酸血症(痛風)
硫酸塩泉塩化物泉に同じ胆道系機能障害、高コレステロール血症、便秘 二酸化炭素泉 きりきず、末梢循環障害、冷え性、自律神経不安定症 胃腸機能低下
二酸化炭素泉きりきず、末梢循環障害、冷え性、自律神経不安定症胃腸機能低下
含鉄泉鉄欠乏性貧血
酸性泉アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、耐糖能異常(糖尿病)、表皮化膿症
よう素泉高コレステロール血症
硫黄泉アトピー性皮膚炎、尋常性乾癬、慢性湿疹、表皮化膿症(硫化水素型については、末梢循環障害を加える)耐糖能異常(糖尿病)、高コレステロール血症
放射能泉高尿酸血症(痛風)、関節リウマチ、強直性脊椎炎など
上記のうち二つ以上に該当する場合該当するすべての適応症該当するすべての適応症

適応症という表現で、療養泉に何らかの医薬的効能があることが前提とされている。
この「療養泉」とは何であろうか。定義としては先に述べた「温泉」とほとんど変わらない。ごく大ざっぱに説明すると療養泉とは、温泉の定義から水蒸気やガスを除いた「鉱泉」の定義内における、さらにその中で「特に治療の目的に共し得るもの」とされている5。たとえば地中から湧き出る25度以上の水であれば、温泉であり鉱泉であり療養泉であると定義される。これは鉱泉、療養泉ともに、「源泉から摂取されるときの温度が摂氏25度以上」という条件が満たされていればそれと定義されるためである。そのため、医薬効果を担保する物質が含有されていなくても「温泉法」やその他の政府の勧告の適用を受ける、という疑問が浮かぶ。

ややこしい話であるが、要点だけをかいつまむと次のようになる。地中から湧き出た摂氏25度以上の水は、含有物質がなくとも温泉と定義できるため「温泉法」や「療養泉の一般的適応症(浴用)」などの勧告の対象となる。地中から湧き出た25度以上のものならばただの“水”でも“温泉”であるということさえでき、誤解を招く定義であると指摘できる。
前提となる「温泉法」の定義に疑問がみられ、温泉の健康効果としての論理性の障害となっていることが指摘される。

次に、「温泉法」そのものに対する議論を抜きにした温泉の効能について述べる。
温泉の医学的な効能については大別すると次のように示される。まず、温泉の物理的因子による効果(温熱効果、浮力による効果、静水圧による効果)、次に化学的因子による効果(含有成分による効果)、そして転地効果(「温泉地に行く」ことなどによる効果)である67。物理的因子は換言すると、一般的な入浴によって得られる健康効果と同様の効果があるという意味である。一方、温泉の健康効果という意味において特に強調すべきは化学的因子と転地効果である。

総じて、これらが理論として大きな矛盾を抱えているわけではないが、中には半経験的に語られている効能もあることが指摘されており、作用機序がきちんと説明されていないこともある。
たとえば、少量の放射線であれば健康効果がある、というホルミシス効果については作用機序その他理論面において意見が分かれている。反対に、温泉のアトピー性皮膚炎への有効性、動脈硬化性閉塞症などについては、それぞれ酸性泉+マンガン+ヨウ素含有泉の培地では雑菌が増殖しないこと、塩類泉では保温が認められ、二酸化炭素、硫化水素による血管拡張作用が認められることなど、理論面も説明されている。

理論の体系性 A (高)

論理性の項目で述べたように、「温泉法」による温泉の定義に疑義がある。そのため、成分は水道水と変わらなくても、“地中から湧き出て摂氏25度以上である”という理由によって健康効果がある温泉とされ、法律による支えがある状態である。

一方、こうした前提を抜きにして考えると、全般として物理的効果については現在の学術的知見と合致する。化学的効果の根拠は「含有成分の経皮吸収」と「飲泉による含有成分の吸収」とされている89が、既存の知見と整合性のとれる考え方だといえる。たとえばアトピー性皮膚炎の治療においては、抗炎症薬使用の前段階として1日1回の入浴と刺激の少ない石鹸の使用を指導される10。温泉の場合、特定の泉質が雑菌の繁殖を防ぐという効果の作用機序が明らかになっており化学的知見と合致する。また、転地効果によるストレス解消なども、ごく一般的な心理効果と矛盾しない。

他に、温泉浴が真湯浴に比べてより高温の入浴が可能であることなども明らかになっており、その面からの研究を盛んにすることによって独自性が高まることも指摘されている11。ただし、論理性の項目で述べたホルミシス効果など、作用機序において不明瞭な点のあるものも多く、エビデンスが不十分との指摘もある12

理論の普遍性 C(中)

温泉を広い意味での“入浴”と捉えるならば、これはヒトだけでなく他の動物にも適用でき得る、“現代の生命活動”においてはほぼ必須の行為といえる。他にも疲労回復やストレス軽減など、多くの人が抱える問題に対処できる有効な手段である。

温泉の効能については、厳密な効果が研究されている一方、具体的な健康効果について誤解を招きやすいという側面がある。つまり、温泉にただ浸かるだけで対象疾患が“完治する”ような思い込みの効果を使用者が感じやすいということである。これは、効能の「掲示」における問題が大きいと推察でき、厳密な科学主義に徹するならば何らかの対処が必要かもしれない。また、この遠因として、温泉の効能が半ば経験的な蓄積に頼っており、理論的な支えのないものが多いことが挙げられる。

実証的効果を示すデータの観点

データの再現性 C(中)

日本では「日本温泉気候物理医学会」において温泉の医薬的効果の研究が盛んである。「温泉法」改正の際にも政府議論の参考情報とされるなど、実質的に“御用達”といってよく、温泉の理学療法、作業療法、リハビリテーション医学的な利用などいくつかの角度からデータが収集されている。

直接的な効果としては、前述したアトピー性皮膚炎への効果、関節リウマチ(RA)などからくる痛みへの鎮痛効果、また、糖尿病による合併症(動脈硬化症)への効果を示唆するデータがある(たとえば131415など) 。間接的な効果としては、温泉や入浴習慣と要介護認定との関連性についての疫学研究(コホート研究)など大規模な研究がある16

ただし、温泉の効能については科学的なエビデンスを“どこに”求めていくかについて議論が起こっている17。というのも、単純に温泉を持ってきて、飲むかあるいは皮膚に塗ったら病気が治るなどということを実証するのは困難であり、また、それを直ちに温泉の効果とすべきではないとの指摘が研究者だけでなく政府内からもなされているからである。
厳密な科学主義に立脚すべきか、民間療法的な治療法として活路を見出していくべきかについては研究者によっても意見がわかれており、研究データの質にバラツキがある遠因であると推定される。

データの客観性 C(中)

「日本温泉科学会」や「日本温泉気候物理医学会」において研究データが多くあり、温泉成分の研究もおこなわれている。定量的な測定が行われており、一定の成果が出ているといえる。ただし、他の通常医学領域と比較した場合、研究の質において不十分だという指摘は研究者内部でも問題視されている。具体的にはRCT(ランダム化比較対照試験)やコホート研究の量が少ないことが挙げられる。

一方で、主にリハビリテーション医学の観点から温泉効果においてRCTを実施することの困難性も訴えられており、実験にかなりの工夫を凝らさなければならないことも研究量が少ない要因といえる。リハビリテーション治療では対照群に対して治療を全くしないことは倫理的な面から出来ないため、何を選択するかなどに工夫を要するのである。

データと理論の双方からの観点

データ収集の理論的妥当性 C(中)

厳密に温泉による効果を測定したといえるデータもあればそうでないものもある。代表的な例として、温泉におけるアトピー性皮膚炎への効果が挙げられる。分子生物学的な解明が進められており、特定の泉質(草津温泉など)における殺菌作用が実証されている。

一方、放射能泉におけるホルミシス効果など、作用機序が不明なままデータが収集されている研究もあり、科学的根拠として疑問符がつく。

理論によるデータ予測性 D(低~中)

温泉の効能として、化学的効果や転地効果まで含めて実験がコントロールされている研究にはアトピー性皮膚炎、鎮痛効果、血管拡張作用などがある。一方で不確実な研究の代表例として放射能泉があり、科学的根拠として不明瞭なのが実態である。

一方、温泉の禁忌については見直されてきており、“どういう対象が”“どのくらい湯につかると(湯を飲むと)”“悪影響があるか”について研究が進められている。たとえば、昭和57年の「温泉法」の規定では妊婦は温泉に入ることは禁忌症として扱われていたが、明確な根拠がないとして平成26年の改訂にて撤廃されている18

データ予測が困難な理由として、温泉の成分は時間経過とともに変化していくということが挙げられる。たとえば、ある温泉で効能が確認されたとしてもそれは恒久的なものではなく(政府は「温泉法」第18条に基づいた成分表の提示における再分析を10年ごとに行うことを義務付けている)、温泉の総合的な作用とした場合“どういう対象が”“どのくらい湯につかれば”“どのような効果が得られるか”ということを厳密化することは難しいのである。

社会的観点

社会での公共性 A(高)

研究については「日本温泉科学会」や「日本温泉気候物理医学会」など、定期的に学会誌を刊行し、かつ成果発表もオープンな団体がある。「日本温泉気候物理医学会」は日本医学会に加盟しており、温泉の健康効果について専門的に研究している。
温泉自体は「温泉法」によって保護された公共物であり、政府あるいは各都道府県の首長の管理下に置かれている。

議論の歴史性 B(中~高)

温泉においてはその定義付けの時点から「伝統」「文化」的な意味と、「科学」的な意味とが折衝を重ねながら成立してきた経緯がある。
たとえば、「温泉法」の立法における法案提案理由において、当時の厚生委員会では以下のような説明がなされている19

続いて温泉法案提案の説明を申上げます。我が國は世界に冠たる温泉國でありまして、古來温泉は國民の保養又療養に廣く利用されて参つたのでありますが、温泉地の発達に伴い或いは濫掘の結果、水位が下つて湧出量が減退又は枯渇するとか、或いは温泉に関する権利関係が複雜を極め、各種の紛爭を起す等、いろいろの問題が出て参つたのであります。

これらの問題を処理いたしますため從来都道府縣令を以て温泉に対する取締を行なつて参つたのでありますが、新憲法の施行により昨年末これらの府縣令はその効力を失つたのであります。

併しながら温泉は我が國の天然の資源として極めて重要なものでありまして、これは保護すると共にその利用の適正を図り、一面國民の保健と療養に資すると同時に、他面その國際的利用による外資の獲得に役立つてますことは國家再建上喫緊の要務と存じますので、この際從來の都道府縣令の内容とするところを基礎とし、これを若干拡充いたしまして、温泉の保護とその利用の適正化に遺憾なきを期するためこの法律案を提出した次第であります。

ここでは、温泉における古来よりの療養的、「科学」的意味を暗黙として認めつつ、温泉を資源として保護し「文化」として発信していくことが前面に出されている。温泉の療養的側面についての言及は「温泉法」の主務官庁が当時の厚生省であったためと推察でき(現在は環境省)、これが禁忌や効能などの掲示義務にもつながっていると考えられる。

「温泉法」は、温泉を「科学する」ことと「文化や伝統とする」ことが半々に織り込められた折衷案であると考えられ、これが昭和23年ごろの世相を反映したものとの見方もできる。あるいは新憲法(日本国憲法)施行により生じた諸問題から「温泉法」の立法を迫られたとも推定できる。現に「温泉法」は、今日では考えられないほど短時間で立法化され、短い期間で審議されたとの指摘がある2

2016年までに「温泉法」は三度の改正を経ているが、それらの国会での審議においても「科学」と「文化」の共存が続いていると指摘できる。以下に注目すべき議論を抜粋する(以下()カッコ内は筆者編集20)。

○吉田(泉)委員……民主党の吉田泉でございます。おはようございます。私の方からも、温泉法の一部を改正する法律案について何点か御質問をさせていただきます。(中略) まず最初に、温泉の定義について何点かお伺いしたいと思います。
昭和二十三年、温泉法制定以来、日本は、どちらかというと私は緩い定義でこれまでやってきたというふうに思います。(中略)
一方で、需要の多様化といいますか、人によっては本来の、狭義の温泉にこだわるといいますか、それを求める人も私はふえているというふうに思います。そうしますと、この従来の緩い定義では、そういういわば本物志向の国民の要求にはちょっとこたえられなくなっているんじゃないか。温泉法の定義をこれからもう一回見直したらいいのかどうか。ただ、六十年やってきたという重みもありますので、非常に慎重な検討が必要だと思いますが、そういう時期にあるんじゃないかなと思います。
それで、最初の質問は、世界で温泉先進国と言われているのがドイツでありますけれども、ドイツにおいて温泉の定義はどうなっているのか、日本と比べてどこが違うのか、お伺いします。

(ここで、ドイツの温泉定義についての答弁)

○吉田(泉)委員……私は、日本にとっても大変参考になる考え方じゃないかなと思っているんですが、後でまたこの問題は触れたいと思います。
さて、日本では、法令上、温泉という言葉以外に、鉱泉という言葉も出てまいります。その定義はどうでしょうか。

○冨岡政府参考人……先生お尋ねの鉱泉の定義につきましては、これは環境省が定めております鉱泉分析法指針の中に鉱泉の定義がございます。(中略)
なお、温泉法に言います温泉との定義の違いでございますが、温泉法に言う温泉は、ただいま申し上げました鉱泉のほかに、地中より湧出する水蒸気及びその他のガスを包含するものでございまして、温泉法の定義の方が少し広くなっております。

○吉田(泉)委員……温泉の方が少し広いということです。
今お触れになった鉱泉分析法指針という局長通知がありますが、今度は、そこにおいて療養泉という言葉が出てきます。これは、「鉱泉のうち、特に治療の目的に供しうるもの」ということであります。
先ほど、最初に私、温泉法は緩い定義であって、成分がなくても温泉であるという場合があると申し上げたんですが、この療養泉についても、成分がなくても、治療に供し得る療養泉であるという可能性があるのかどうか、お伺いします。

○冨岡政府参考人……鉱泉分析法指針における定義におきましては、療養泉とは、特に治療の目的に供し得る、これは適応症の掲示が可能となるということでございますが、温泉であり、具体的には、硫黄等七成分を一定量以上含有するもの、溶存物質が一リットル当たり一グラム以上であるもの、温度が二十五度以上であるもののいずれかに該当するものをいうとされておりまして、先生お尋ねのように、温度が二十五度以上で、成分が温泉法や指針に規定された物質の量に達しない場合も含まれるものでございます。これを通称、単純温泉と言っております。

○吉田(泉)委員……そうしますと、治療に供し得ると称される療養泉においても、今の定義からいうと、温度は二十五度あるけれども、実は成分が入っていないという場合もあり得るという答弁だったと解釈します。
私は、これはちょっと疑問を感じるところでございます。成分のないものまで療養泉に含めていいのか、もう少しここは厳密に定義した方がいいんじゃないかというふうに感じたところでございます。(以下略)

○冨岡政府参考人……鉱泉分析法におきます指針では、地中から湧出した加工がされていない状態の温泉を分析する手法を定めているものであります。この指針の中で定めている療養泉につきましても、このような状態における分析を想定しております。加工していないものを想定しております。(以下略)

○吉田(泉)委員……(前略)そこで、私の意見は、少なくとも療養泉という定義があるわけですから、療養泉については、含まれなくちゃいけない温泉の成分とか、それから塩素殺菌のあり方、こういうことをもう少し厳密に定義し直して、一番最初に申し上げました、ドイツはそういうものを天然温泉と定義づけていると私は解釈しているんですが、ドイツの天然温泉に匹敵するようなものとして日本の療養泉を温泉法上に位置づけられないかなというふうに思っておるんですが、いかがでしょうか。

○北川(知)大臣政務官……吉田委員御指摘のように、現行の温泉法、緩やかな定義といいますか、幅広い観点からの定義があると思います。これは、温泉がさまざまな成分を含有しており、人体に害を与える場合もあり得ることから、我が国の温泉法は、温泉を幅広く定義し、また幅広く許可制の対象とすることによって、利用者への健康上の悪影響を未然に防止するという考え方に立っているものであります。
また、温泉の保護と適正な利用の確保という温泉法の目的を踏まえれば、こうした考え方で設けられた温泉の定義とは別に、新たに温泉の療養効果に着目した定義を設ける必要はないと考えております。
環境省といたしましては、温泉の禁忌症、適応症及び利用上の注意事項に関する最新の医学的知見を収集するための調査を実施しているところでありまして、法律上の位置づけとは別に、この調査の結果を踏まえ、利用者に対するより適切な情報提供が進められるよう努めてまいりたいと思っております。
先ほど委員からもお話がありました、六十年の重みといいますか、日本の国土、独自性の温泉というものもあるわけでありますから、今後は、この法律に関しましても、五年ごとにといいますか五年後に見直す、こういう方向性も位置づけておりますので、この点については、今後、先ほど申し上げましたような方向で努めてまいりたいと考えております。

○吉田(泉)委員……私も、六十年使ってきた温泉という定義を見直すというのは、現実問題として非常に大変だと思うんです。私が申し上げているのは、療養泉というもの、温泉の中の療養泉という定義をもう少し厳密にしたらいいのではないか、こういう意見でございます。(中略)
それで、質問は、今の温泉基準、十八種類等の成分が基準として出されておりますが、昭和二十三年に決められたこの温泉基準というのは、どうなんでしょうか、学問的に完成された基準と言い切れるんでしょうか。つまり、古来から、何百年も人体実験をしてきて、みんな薬効があると言っているような鉱泉宿が、ひょっとしたら、また別な何か成分を持っていた、そういう意味では、温泉の神秘というのを本当に我々は解明し尽くしたのかという疑問があるんですが、いかがでしょうか。

○冨岡政府参考人……温泉の効用と申しましょうか、健康に対する影響というのは、必ずしも含まれている成分によってというものだけではなくて、一般的に、例えば、温度とか、温泉による体に対する刺激、今申した成分、それからあと周りの環境が与える人に対する効果、そういったものが総合的に影響して効果があるんではないか、そのように言われているところでございます。 そういった中で、温泉の定義につきましては、先ほど来お答えしておりますような中身で、また政務官が申し上げましたように、六十年の運用ということでかなり定着してきておるところでございます。
こういった中で、温泉の要件となる成分につきまして検討するということにつきましては、健康によいと言われるそういったこと、学術的に健康によいと言えるかどうかといった観点だけからではなくて、やはり総合的な観点が必要かなという点でもあろうかと思っております。
また、こういった点につきましては、日本温泉気候学会といった、こういった分野に関心の高い医師等から成る学会もありますので、そういったところにも研究をお願いしているところでございます。
(以下略)

以上のように、温泉の効果については慎重に見直されながら議論が進められている。他に議論という意味では、温泉の効能(禁忌)として昭和57年までの規定と現在の規定が異なっていることがあげられる。たとえば、以前は温泉への妊婦の入浴は禁忌症となっていたにもかかわらず、科学的根拠なしとして現在は取り外されている。一方で、放射能泉など、明確なエビデンスがないまま法律によって効能が保証されているものもある。

日本において「温泉法」は60年の歴史や伝統があり、また、温泉自体も古来よりの文化的意義が大きい。ただし温泉の療養効果についても見過ごせず、これは基本的には科学的知見に立脚すべきであるが、文化や伝統などとの総合的な観点も忘れてはならないとされている。温泉効果の議論では、「文化」「伝統」と「科学」という対立しがちな要素が繋ぎ合わされながら折衷されているといえる。

社会への応用性 C(中)

温泉の社会での有用性は高い。高い有用性ゆえに「文化」「伝統」と「科学」との折衝が起こっているとも推察できる。温泉の具体的な効能については現在究明されてきており、成果も出ている。

一方、温泉の効能について「科学」だけではない多角的な視点から評価すべきという歴史的な議論があり、法律的にもそのように位置づけてられてきたことがうかがえる。過去の「伝統」によって守られてきた効果を現代の「科学」が検証する、という免れえない構図に現在も晒されており、掲示されている効能をどれくらい信頼できるかについては慎重な対応が必要である。

総評 発展途上の科学

温泉に関しては「温泉法」の立法、および三度の法改正段階において、「文化」「伝統」的な側面と「科学」的な側面とが入り混じった状態で議論されており、「科学」というモノの見方のみで扱うことが難しい事象であったことが推定される。
温泉をどのように取り扱うべきか自体に(法律的、歴史的な問題に由来した)議論があり、科学という視点はそこから派生した一側面にすぎないとさえいえる。実際に、温泉の療法的側面については「日本温泉気候物理医学会」などが積極的に研究発表を行っているが、他の医学領域と比較した場合の研究の質のバラツキの大きさについて指摘があり、国会内での温泉の「伝統」「文化」的面での議論も相まって、政策反映まで至らないのが現状だといえる。

また、大きな課題は前提とされている温泉そのものの定義に疑義が見られることである。これは、社会が温泉をどのように扱うかという問題を孕んでいるといえ、今後、より洗練された社会的合意形成が必要な分野といえる。

 

参考文献

  1. 温泉法(昭和二十三年七月十日法律第百二十五号)
  2. 北條浩、村田彰/編著『温泉法の立法・改正~審議資料と研究』御茶の水書房2009
  3. 境省自然環境局自然環境整備担当参事官室編「逐条解説温泉法」
  4. https://www.env.go.jp/nature/onsen/docs/kyokucho.pdf
  5. 環境省自然環境局「鉱泉分析法指針(平成26年改訂)」
  6. 佐々木信行『温泉の科学』SBクリエイティブ株式会社2013
  7. 日本温泉科学会/編『温泉学入門~温泉への誘い』コロナ社2005
  8. 日本温泉科学会、西村進/編『温泉科学の最前線』ナカニシヤ出版2004
  9. 日本温泉科学会、大沢信二/編『温泉科学の新展開』ナカニシヤ出版2006など
  10. 福井次矢、黒川清/日本語版監修『ハリソン内科学 第3版』メディカル・サイエンス・インターナショナル2009
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  12. 前田眞治「温泉の科学の確立を求めて」『日温気物医誌74巻』2010
  13. 久保田一雄、町田泉、田村耕成、倉林均、白倉卓夫「アトピー性皮膚炎に対する草津温泉療法の効果」『リハビリテーション医学』1997
  14. 上岡洋晴、塩澤信良、奥泉宏康、岡田真平、半田秀一、北町ロ純、鎌田真光「温泉による運動器疾患の予防効果に関するコホート研究のシステマティック・レビュー」『日温気物医誌73巻』2010
  15. 松村美穂子、増渕正昭、森山俊男「温泉療法による糖尿病患者の抗動脈硬化作用について~非糖尿病患者、非温泉療法施設との比較検討」『日温気物医誌77巻』2014
  16. 日本温泉気候物理医学会温泉療法医会「入浴習慣と要介護認定者数に関する5年間の前向きコホート研究」『日温気物医誌74巻』2011
  17. 川平和美「温泉医学とリハビリテーション医学の研究に共通する困難さ」『日温気物医誌72巻』2009
  18. NHKオンライン「妊婦は温泉避けて~科学的根拠なし」2014年4月3日
  19. 第002回国会参議院厚生委員会第17号 昭和二十三年六月二十六日(土曜日)
  20. 第166回国会衆議院環境委員会第4号 平成十九年四月三日(火曜日)
  21. 東威「日本温泉気候物理医学会80年のあゆみ~第80回日本温泉気候物理医学会総会記念講演」『日温気物医誌78巻』2015
  22. 出口晃、森山俊男、伊藤恭、卯津羅雅彦、西川浩司、真塩清「温泉療法専門医制度の現状」『日温気物医誌78巻』2015
  23. 野口冬人『病気に効く療養温泉ガイド~医者も驚く効能別名湯120選』二見書房2001