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鍼灸

e001
みまこ
鍼灸
はり師ときゅう師は厚生労働大臣によって免許が与えられる国家資格ですが、国(厚生労働省)としては発展途上の科学を治療として認めているということなのですか?
みまこ様
鍼灸治療は厳密な意味では保険適用内医療とは少し性質の違う「療養費」として医療費の請求を行います。対象となる疾患に際して、原則として医師による「同意書」を必要とし、それによって健康保険を受けることができます。
また、何をもって「認める」とするのか少し難しいところではあります。例えば接骨院では前述の医師による「同意書」が多くの場合慣例として不要となっています。これは、代替医療行為における現場運営を円滑に進めるためとされており、そのような経緯から日本において接骨院が広く浸透できた、との指摘もあります。
この事実のみを切り取って過大解釈するわけではありませんが、「鍼灸」では(主に政治的な意味において)国との信頼関係があまりうまく構築できていない、ということは推察できるかもしれません。
e002
たま
鍼灸
鍼灸ほど腑に落ちないものもないというか……
「経絡・ツボ」のファンタジックな設定、そして何よりも「効いてしまう」という事ですね。
個人差あるでしょうが、私の場合は覿面でした。
なぜか効く
なぜ効くのかはわからない
世の中にはこういったものもまだまだ残されているのでしょうか
e003
とく
鍼灸
鍼の機序を西洋医学的アプローチから検証する論文が増えています。そして『気』『経絡』『ツボ』などの概念に頼る事なく、鍼の作用機序を西洋医学の用語と生理学的知識で理解できれば、鍼の効果も明瞭になってきます。東洋医学では鍼は『陰と陽』のバランスを調整すると言いますが、『陰と陽』のバランスを『交感神経と副交感神経』のバランスと翻訳すれば、その機序が理解可能となります。
とく様
鍼灸研究の進展は期待できますね。
ご投稿ありがとうございます。
e004
maprmed70
鍼灸
経穴という特殊な構造体は存在しません、神経系とも関係ありません。「気」といわれる現象は、生体を構成する物質の性質によって起きているにすぎない。したがって、疑似科学ではない。
「気」が疑似科学かどうかはともかく、まずは、「気」がどういう”モノ”であるかを説明していただければ、と思います。
e005
maprmed70
鍼灸
「モノ」ではなく「コト」です。
ああ、すみません。
「コト」ですか。
では、「気」という「コト」を説明していただけますか?
e006
maprmed70
鍼灸
生命現象を化学反応の集積としてすべてを理解できるならば「モノ」として扱えばよいのです。しかし、鍼灸などは物理的作用であり、直接的には化学反応を起こしているわけではない。ここに化学変化と物理変化の違いがあり、鍼灸などの物理療法を「コト」として扱わなければならない理由である。
今回はここまでということに。
物理反応と化学反応の違いが今一つ理解できないのですが、そもそもなぜ化学反応ならば「モノ」で物理反応なら「コト」となるのでしょうか?
それを選別する意味は何なのでしょうか?
e007
maprmed70
鍼灸
化学変化では分子・原子の離散集合が問題となります。これによって物質(モノ)の構造や性質を説明します。例えば、水素と酸素が結合して水になる。しかし、物理変化では分子・原子の離散集合ではなく、物質のなかの分子・原子の位置が変化します。                   
例えば、超伝導物質を冷却していくと、化学反応が起きていないのに、ある温度に到達すると突然電気抵抗がゼロになる。これは当然化学変化によって説明することはできません。このような現象(コト)を説明するには物理法則を適用しなければなりません。
鍼灸などの物理療法も同じことです。
e008
maprmed70
鍼灸
>それを選別する意味は何なのでしょうか?
「モノ」は具体的、「コト」は抽象的である。法則というものはすべて抽象的なものであり、思考によって生み出される。
鍼灸などの治療法は、科学的であることを標榜する現代医学の研究方法によって解明することは不可能である。それは、「コト」の範疇に属することなのだから、「モノ」を詳細に分析するだけでは法則に到達することはできない。
もっとも、現代科学では、「モノ」は「コト」に吸収合併されているのだけれども。
このようなことは、科学研究の基本のキです。この程度のことも認識できずに科学を語るおバカさんが何と多いことか、彼らは疑似科学を語る人たちと同じレベルといってよいだろう。そのために疑似科学を淘汰することが困難となっている。大学医学部で、「モノ」中心の現代医学教育を受けてきた医師たちに代替療法の研究ができるはずはない。科学研究の論理や方法、適用する法則が異なるのだから。それにもかかわらず、鍼灸なんかを疑似科学と決めつけることで、現代医学を信奉する自分たちこそ科学の徒であると思っているらしい。
e009
ハチ
鍼灸
鍼灸師の一人として、書かせて頂きます。
鍼灸について、比較的高い評価をつけていただいたことを、嬉しく思います。
その一方で、今回の評価が主に「有効性の検証」であることについて、ご意見申し上げたいと思います。
東洋医学理論は、現代医学とは全く違う体系を持っています。それゆえ科学的に未解明な有効性も存在するのですが、一方で、未解明であることを逆用して過剰効果を喧伝するケースが跡を絶ちません。
これまでに「鍼灸は全体を整えるので、どんな病気にも有効」とか「ガンでも治せる」と発言する鍼灸師を、何度か見てきました。
治療を受ける側も、東洋医学の神秘的なイメージにより、「現代医学では治せない病気が治せる」と、大きな期待をしてしまうことがあるようです。
多くの疑似科学についてもそうですが、一番被害が生じるのは「効果があるかもしれない」という期待の部分です。
鍼灸のように社会的影響の大きなものについては、有効性の検証と同時に「無効性」(確実に無効と考えられる部分)の検証をする必要もあるのではないでしょうか。
科学的に無効を判断することが難しいことは承知のうえですが、検討いただけますと幸いです。
ご投稿ありがとうございます。
大変参考になるご意見であり、また、非常に貴重な知見のご提供に感謝いたします。
おっしゃる通り、「効果があるかもしれない」という期待が、幻想に変わったところに一番の被害が生じているのかもしれませんね。
そのあたりは、広告やメディアの問題も大きいと感じます。ご指摘されたような個別の治療師をメディアが祭り上げるという構図があり、そうしますと、”まっとうな”鍼灸師やその研究者も「被害者」かと……。
ご指摘いただいた内容、さまざまな観点から追究・検討したいと思います。ありがとうございます。
e010
形而上のU
鍼灸
似非でしょう。
辛辣ですが、大半はただのブラシーボ効果に過ぎないと思ってもいます 
按摩や鍼灸等といった物は『いかにも学術用語そうなやや難解な造語を言葉巧みに使って一種のファンタジー』を演出した"出鱈目"でしょう
私の経験上、海外のマッサージ店や日本の鍼灸、按摩等を受けたことがありますが、バイトが行っていたり、明らかに独自の療法?みたいなものが蔓延っていたり、それで逆にどこかしらを痛める人だって見てきました。さらにはまるで、アニメのチャクラ?みたいな感じで体内にドラゴンが住むだの、『今、私の気を送っています』みたいな療法とか。もはや言葉が出ない状態です
はっきりいって、日本の保険料を詐欺ろうとしている集団だとしか言えません 科学というのは、もっと分かり易い概念で且つ、再現性のある物でなければなりません それは人の身に関わる医学であるならば尚更です
もちろん私は『個人差』というものを分かっています、しかし、いくらなんでも、皮膚という細胞を針で壊し、それで血管に穴を空けたら自然治癒が上がってなんとかんとかとか、意味が不明で仕方がありません....
ご投稿ありがとうございます。
e011
Rejoice21
鍼灸
以前とある大学院でこの種の研究路線に携わっていた経験のある者です。(有資格者)語弊があると良くないですが自身で思う所を率直に。
針ないし灸に対して科学的客観性の有無を追い求めた研究にゴールはありません。そもそも針ー灸ーツボに対しての明確な定義すらないからです。
ないというより実際はまちまちなのですが。実体があるかないかすら明確に定義されないものを検証するのは道なき道でしょう。たとえ実体がないと誰かが定義してもその命題からスタートしそれを科学的に吟味し、理論構築すればいいわけですが…。
現行医学とは理論体系がちがうという意見が多々ありますが、そもそも未定義のものに理論も体系も確立されようがないです。
有名な研究機関においても、あるいは巷で一人営む無名の資格者であっても、「理論」というのがこの業界の場合、各々が個人ないし集団にて唱えてる「独自」のものでしかありません。
日本国内においては、医療文化として残ってきた療法のひとつである事が第一線枠であり、その後何年時代が続こうが、発展しようが廃れようが、その枠以上でも以下でもないというのが私の考えです。
現在の研究路線では、
基礎研究においては、針ー灸ーツボそのものよりも、それの延長線上にある研究(例えば痛みの研究)を進めるか、あるいは全くそれらと直接の関連はうすい研究を進めていくか。
臨床研究においては、ざっくり言ってプラグマティック(実践的)に示す。つまり「針(灸)をやってみてどういう良い効果がデータに現れるか」を示すしか方法はありません。
「それそのものがどういう働きを人体にもたらすか」ほんとうの意味では(当然ながら)知り得ないということです。そうしますと、針ー灸ーツボにそもそも科学的命題すら成立しないことになりますが、その点は私にはコメントの仕様がありません。
このような軋轢・複雑性の中に各資格者・研究者が存在しますから、負の傾向と致しましては「〈自分で効果があると思うある方法・理論〉を研究で〈広く示したい〉」となりがちです。
また各組織等の宣伝・戦略と関連すれば、「いかにインパクトを持ちうるものか」が先行してしまいがちです。誤った啓蒙とも言えるでしょう。
仮に「ほんとうに効果がある」のならば、わざわざ研究でそれを示さなくともよいのですから。
もしも“医学”であるのならば、〈この病患にどうにか治ってほしい〉と私が考える事と〈その病気や症状が治るだろうか/治らないだろうか〉といった私の判断とを、明確に区別できなければ、医学が成立しないはずです。
だったら、正統的かつ誠実におこなっていけばいいではないか。といった意見も生じそうですが、実際に研究をおこなってみればわかる部分もあります。例えば、試みて明瞭に効果が現れにくかったり、かといって全く効果のない嘘ぶいたものでもないものであったり。
コクラン評価やWHOの見解をも合わせれば、そのあいまいさはさらに納得できるはずです。良いような悪いような果たしてどっちなんだ一体、なのです。
まるで先代からの古文化に私達が〈化かされて〉いるかのようです。畏敬をもって、大きな効果を予測せず、日々病患に向き合うことこそがリアルな部分かもしれません。
その意味では針ー灸ーツボの研究というのは、例えば看護日誌に見られるように患者さんの日々のこと症状のこと等を細かく書き、検討し議論し、自身も書き直し、また考え…1人の人間についてそれを繰り返す。そういった1症例報告のナラティブ構築にゆくゆくは落ち着くだろうと私は考えます。
しかし医療倫理やマナーといった面はこの資格者はしっかり身につける人が多くいることはどうか知って頂きたいです。決して、相手(患者さんなど)を騙そうとしてるわけではないです。病める方々にあくまで良くなってほしいといった出発点から、上記のような事も踏まえてなおも真摯に追求しようとしている方が一定数おられると思います。
また末筆ながら「効果がない」といった考えに基づく何らかの仮説をもってして「実際に効果がない」と科学的にそれを示すこと/示そうとすること。それ自体は無意味です。役に立たないことを証明して一体どうするのですか。
偉そうに長々と書きました。
ご投稿ありがとうございます。
たいへん深いご指摘と思います。
医療については、少なからず「何であれ、治ればよい」という、工学的な発想が関わっており、それが「科学」と摩擦を起こしている部分がありそうです。
個人的には、医学⇒科学、医療⇒技術、といった側面が色濃いように感じておりまして、「患者を治療すること」と「治療法を研究すること」との違いも今後考えていくべき要素と思います。
e012
正道
鍼灸
鍼灸に関しては、やはりプラセボの扱いが一番の問題になっていると思います。
そもそも経絡の刺激に対する効果が刺激量に単純に比例するかどうかも明らかになっておらず、近年ではかなり浅い刺激でも効果がある可能性が指摘されています。つまり偽針の場合もプラセボではなく、ある程度の効果が出ている可能性があります。
また経絡の取り方も非常に多様である点、西洋医学的に「同じ症状」であっても東洋医学的には異なる証とみる場合など、一般的なプロトコル自体が鍼灸効果の判定に適していないと思われます。
単純な医師主導ではなく、東洋医学を深く理解した鍼灸師がプロトコル作製から参加すべきではないでしょうか。
ご投稿、また鋭いご指摘ありがとうございます。
e013
Rejoice21
鍼灸

偽針であれ、爪楊枝であれ、体表に触れていますから、人体に『なんらかの』反応は生じていると思われます。しかし資格者としては、現行の針と爪楊枝とを同じ反応であると公で述べる者はいないでしょう。針の効果について検証した研究で、そのように述べてしまう者がいたとすれば、針に関して研究をする資格がないと思います。爪楊枝でなく針であることの意義に対して、そこを私らはどう〈持ち堪えるか〉が重要でしょう。爪楊枝にも針と類似した現象が起こる可能性があることを検証しても、研究目的の本質とは何ら関係がない。(弱点の担保ではなく、持ち堪えるという言葉が重要です)
〈担保する〉ためのツールとして科学研究という箱モノ(フレーム枠)を用意し〈これまで誰も知らなかったであろう専門領域内の事実〉のみをそこに持ち入れて、ふるいにかけ、実証的に述べ示したところで、自らの科学性を決して〈持ち堪え〉られません。
問題は科学性というのは、決して医師や医学博士の先導所有物でなく、国の物でもない、自然科学者だけ、専門家だけの物でもなく、実行者と聴衆及び利用者にこそ開かれているべき物です。極論すれば、箱の枠が純金製であれ、木製であれ、ステンレス製であれ、なんであってもよろしい。しかし、検証すべき事実がなんであってもよろしいわけではない。
セザンヌの書いた静物画のリンゴと思われる会計レシートが現代になって新しく発見されたとして、そのリンゴがどのくらい高級で、どこのスーパーで売られ、どこ産のリンゴか、などと実証的に述べていった所で、リンゴはあくまでリンゴです。価値は芸術家の表現の中にこそあったわけで、ありふれたリンゴが彼を通してその見え方が変容したからこそ世界観の進歩や発展です。そこで時代が変化してもいきます。
問題はもっと内面にある、ということが言いたいのです。
資格を得て、業務範囲は一様に認められている中で〈効果がない〉〈実体がない〉〈あやしい〉などとされがちな傾向には個人的に憤ります。では、いったいなんのために投資し、資格得て、従事してるのだという現場の声は、専門家や為政者らに果たしてどのくらい届いているのでしょう。経験に即せばそこに彼らは疎く、驕りにも似た、蓋をかぶせたい何かがあるのでないでしょうか。
考えるきっかけを与えて頂きましてありがとうございました。
ご投稿ありがとうございます。
e014
78ppm
鍼灸
科学というものは、条件が同じであれば、誰が行っても同じ結果が得られるようでなければならない。残念ながら、鍼や灸では同じ結果を得ることはできない。それは、「気」という現象が存在しないということではありません。「気」は存在するのであるが、手技療法であるために結果が不安定であり、治癒させることが困難なのです。
一定の結果が得られるようにするためには、鍼や灸に替わる手技ではない治療法を選択すればよい。客観的に認められるためには、鍼や灸という治療法を棄てることです。
専門家ではない、素人が行っても同じように完治させることができるならば、それは科学といえるはずです。鍼や灸にこだわっているようでは科学になることは不可能だろう。
ご投稿ありがとうございます。
e015
Rejoice21
鍼灸

自ら得ようとしない機会は訪れることがありませんから、自ら手段そのものを解体放棄することによって、目的さえ得られません。再現性の有ることは制度上認められているのではないでしょうか?学位なり博士号なり何なり各研究成果によって与えられてますよね。100%再現性を確保できる科学は無いんじゃないのですか。そこを目指してどうやっていけるか、なので。脱構築というか。反証要素はその中に含まれていますから。非科学かもしれない部分はあるけれど科学性を目指していくという。(この場合でしたら)
素人にできるなら、プロ専門職である意義が技能・学術の中にはないのでしょうか。各個人の信念の中にのみ意義が約束されてるのですか。
客観的観測地点に立ったうえでのデータの再現性は〈証拠づくり〉のためではありません。各効果を示す論文内のそのデータが〈実際にいかほどそれが私らに役立つか〉を示す側面もあります。エビデンスレベルにも上/中/下など程度が存在しますし、目的に応じ、低いエビデンスの手法を取り入れ使用すること自体、とくに問題はありません。(業務範囲を逸脱していなければ)
高いエビデンスほど疑いがなく信憑性があるかと言うと、それは数値/数学的に近似統計の計算上そうであるのみなので、必ずしも完全ではない部分をも含んでいます。薬物の研究でも同様ですが、集団一定数内において一部効果の見られなかった者らも含んだ、最新特効薬があるように。そのエビデンスを使用する/使われる人間が別個そこにいるのです。科学はどんな形であれ最後は人間に還元されますよね。エビデンスが高くても低くてもなんでもいいという意味でなく、高いほどそのデータのみに信頼性があると言えるでしょう。しかしながら最も科学的意義のあるメタ解析を頂点とし、1症例を底辺に置いたピラミッドの中でも、1症例は信頼に足らぬとはなりません。あくまで実証的再現性に乏しいというまでのことです
「科学性の確立」はこれだと言える到達点やゴールはなく、どちらかと言えば「教育」「倫理」などと同じようにそこに向かって目指すべく「理念」に近いようなものでしょう。1症例のナラティブを積み上げていった末、何かそこに共通性を見出すことのできる要素だってあるでしょう。その共通性〈今ここで何が生じているか〉の探求はおそらく科学になりうる。その際にどういう切り口視点から検証していくか、その定義づけが重要でしょう。
また資格における各学位は、「再現性がある」「同じ結果が出ている」と何らかの制度基準に沿って認められた研究論文の成果によって与えられています。(院レベル以上=医学博士や先輩方、◯◯大学◯◯病院◯◯教授などがそうでしょうが)その制度が外部者にとって切り崩せない壁となってるだけでしょう。
私の当時の研究トピックは著名な大家による「脚にシール針すれば、末期患者における抗癌剤による舌のただれが改善する」というものでしたが。倫理上思う処いくつかありまして、その研究への参加はしなかったですが、上記案が専門家による真摯な実証的検証なのか、あるいは個人的な信念に基づく邪念なのかは容易に判断できるでしょう。上記は公費を用い実施に至ったはずですが。いずれにしろ針や灸の研究の困難さを理由にはできそうにない案ですね…
理論を〈多様〉にしてるのは資格者自身らであって、国家資格を通して国内で認可されてるのはあくまで〈一様〉な業務範囲でしょう。
“科学性をどう作りあげるか”よりも、“どう自ら論理的に科学していくか”のほうに集約するのではないのですか。
e016
78ppm
鍼灸
最も高いエビデンスとはなんでしょうか。統計学によって高さが保証されるなんてことはありません。我々が考えられる範囲内において最も強力なエビデンスは、その現象が物理法則に一致していることです。それ以外のことを考慮する必要はありません。物理法則が否定されない限り、再現性は保証されるでしょう。
e017
Rejoice21
鍼灸

統計によって定まるものは、そのデータの数値的な信頼度や確からしさでしょう。統計的に意味をもつ数値が定まると考えます。但し、その数値が当事者にとってどのような意味をもつかは一律ではないでしょうが。「最も高い」エビデンスというのは難題です。一体なんでしょう、私にはわかりませんでした。
1症例の報告よりは、ランダム比較された試験、それよりはメタ解析された研究…というようにレベルは上下しても、確率における蓋然性の情報しかエビデンスは私に教えてくれません。しかし、エビデンスレベルのより高い研究ほど、一般的には科学的意義や信憑性がより高い傾向にあると位置づけられてるのではないでしょうか。
あなたのおっしゃる視点を考えてみました。様々な見地はありそうですが、まず法則と仮説の関わりはいかがでしょう。仮説が実証的・実験的に正しいか正しくないか検討さえもできぬような命題を、検証体系にのぼらせるのはどうなのだろうかと。否定される/されない以前の問題ではないかと。すなわち、そのような命題の集合に再現性さえ保たれないのではないかと。
しかし『知的に割りきれない部分』もこうして多分に含んでいることがわかってきます。
私は物理学を専門にしませんのでご教授頂きたいほどですが、東京駅で「ここはどこですか?」とたずねる子供に「坊や、少なくともここは宇宙のどこかだよ」と言ってる様子を思い浮かべました。その返答は果たして今実際にどれだけ役に立つでしょう。30分後にあらわれる駅員さんに期待しますか。
仮説形成の段階での詭弁や誤謬(あなたがと言っていませんのであしからず)こそが疑似科学における「pseudo」「Voodoo」の所以ではないかと考えますが。こういった医療全般における未文化な部分を今の社会の中で維持していくには、枠に見合った「ふるまい」をその都度々、規定していかざるをないと思うのですが。未開民族に未知との遭遇があったように。
e018
78ppm
鍼灸
法則には適用範囲というものがありますよね。同様にというか、表裏の関係として、研究方法にも適用範囲があるのです。世論調査とか疫学調査の場合は、現象を確率的に扱い統計的処理を行うことで科学研究として認められます。個人間に関係性はない、対象が多数である、全体としての法則性が認められない、などを前提としてこのように扱うことが許される。
ところが、臨床医学に二重盲検法や統計学を適用すると、一見すると科学的研究のように見えるが、大きな間違いとなる。呪術に類する治療法でなければ、治療は物理的あるいは化学的手段によって行われます。病気になる、治癒する、それは患者個人の体内において物理・化学の法則に従って進行する現象なので、決定論的であり確率論的ではない。治療は決定論であるはずなのに、検証は確率論というおかしなことになってしまう、このような間違いをカテゴリーエラーといいます。
決定論と確率論を混在させると、それは科学研究とはいえません。理論通りの再現性がなく検証が必要ならば、それは法則とはいえない。その法則が間違っていることになり、新たな法則を探究することになる。生体には物理的法則があり、再現性が保証されるので検証の必要はない。法則性があるから、物理療法が医療として成立する。
この程度のことは、科学研究のイロハのイです。統計学を適用したから、無条件で科学研究になるなんてことはありません。疑似科学を批判する人たちが、疑似科学論者と同じレベルで論争するようでは科学の進歩はありません。
e019
Rejoice1221
鍼灸
では臨床医学全般において、あなたがおっしゃる「混在した」科学「的」研究が盛んに行われているということですね?
e020
78ppm
鍼灸
科学的に見える現代医学であるが、研究の方法や適用する法則を間違えている研究が多すぎる。統計学云々はその一例にすぎない。人体も含めて、すべての現象は物理法則に支配されている。したがって、治療はそのような法則を応用して行えばよい。法則性を認めない統計学を適用することは、法則の探究をストップさせ、医学の混乱を固定化しているだけである。
そのような「事実」を知らなくても当然です。公表されていませんから。
e021
rejoice21
鍼灸

なるほど、物理主義ですか。当方、物理法則と一般医学の関連に疎く記載をありがとうございます。勉強になりました。
e022
Rejoice21
鍼灸

アフォーリスムに基づく外枠の意味付けならば、ある程度、適当です。しかし問題は、中身そのものです。
針と灸、ツボ自体は、状態変化のない静的スタティックなものでしょう。それは、なんらかの視点や要素で規定した、あるいはそうみなしたパッケージ全体でしょう。その仮定はいいのですが、なんのためにでしょう?おそらく、針が治癒に効果がある、という信念や経験が起源ですよね。現代の多様な疾患に用いることはあっても、みずからはそれに対応した変化はしません。(研究のエビデンスであれ、古典記載であれ、同じ三里ひとつに治療すれば、同じ治療ですね)病気でも、未病でも、健康でも、同じ仕事ですよね。ステンレス何センチかの鋭利なものを、特定の皮膚層へ入れる仕事です。
完全に、科学=医学と言いきれない部分はあるかもしれませんが、変化は刻一刻してます。進歩があるという意味で、いくぶんか動的ダイナミックな気がします。
おそらく前者は、変化がある/ないよりも、後にも先にも、その変化を追えないですから、あなた本人が、変化を感じられるか、どのように見つけられるか、といった主観や価値観に向かいますよね。その方向性の先に、物理法則は、見当たらないでしょう。ないと証明されない以上、それはあるかもしれないでなく、無いでしょう。人間に科学的な探求のできない領域かと思いますよ。
e023
Rejoice21
鍼灸

(追)
私の立脚する場(観測点)はあくまでこの資格者としての視点です。当然ながら適応範囲や限界がそこに多く存在します。但し『シール針すれば抗癌剤による副作用から生じる身体症状が治る(かもしれない)』ということは、そこに関連する物理法則がわかっていないから可能性は完全に否定できない、未来では解明されうるかもしれない、ではなく、そのようなことに因果を成立させようとする、わずかの可能性さえも現実的に残してはならないのだと思います。それが医療職上の重要な倫理になるのではないでしょうか。これは個人の資格者の判断・考えだけの問題に収まらないように思います。現段階で何がわかっているか否かよりも、私らがどのような体系を築けるかに科学も重点が移っていませんか。
e024
78ppm
鍼灸
分子生物学が明らかにしているように、病気は分子レベルの異常です。現代医学は生命を化学反応の集積と考えているので、治療は薬物が主となります。それでは、なぜ鍼灸などの物理療法が可能なのでしょうか?鍼を打っても直接化学反応など起きていませんね。実は分子の異常を物理的に正常化することができるし、そのほうが本質的なので、物理療法は現代医学をはるかに上回る治療法です。これは物性物理学や生物物理学という分野の問題であり、治療のための法則はあります。
e025
78ppm
鍼灸
>ツボ自体は状態変化のない静的スタティックなものでしょう。
違います、物質が正常ではない状態になっているのです。そこに外部から何らかの作用を加えることによって正常化させると、その変化が情報として周囲に伝達されていく物理的現象です。
e026
Rejoice21
鍼灸
〉違います、物質が正常ではない状態になっているのです。そこに外部から何らかの作用を加えることによって正常化させると、その変化が情報として周囲に伝達されていく物理的現象です。
物質の正常でないその状態とは、どのようにして私らに観察されるのでしょうか。あるいは、何と比較して正常な状態ではないのですか。配列の乱れた体内のタンパク質分子が、針によって整うということですか?私は、そういった事実を今のところ知りません。
私に観察されないことは、私は言えないです。それがいかにして、あなたに観察されるのでしょうか。
e027
78ppm
鍼灸
直接観察することは不可能です。理論上、そのようなことが言える、ということです。
現代科学の研究対象は、直接観察したり実験したりすることが不可能な階層や領域の現象が多いのです。例えば、地球や太陽の内部とか、宇宙の始まり、素粒子といったことです。
そこで、多くの間接的証拠や法則、理論などを組み合わせて強固な仮説を形成するのです。
生命現象も同じことです。その仮説によって病気という現象を制御できる事実があり、強力な反証がなければよいのです。
e028
Rejoice21
鍼灸
ツボは、平面人体図に点描写されたマップですからね。それは物理うんぬんよりもまず古代文化の産物でしょう?ある一時代に出来あがった想念という意味で実体の明らかでないファンタジーではないでしょうか。
私は、人が人に対しておこなう何らかのこと、それが明らかに人によって(または人に近い動物等によって)観察され得ない場合に、人間が目的を持った運用は日常の中で不可能だと思いますけどね。目的を問わない行為ならば可能かもしれませんが。
ほんとうに物理療法家たちが、自身の治療概念や体系を支えるために、素粒子やあるいはより先の理論物理をも必要としているでしょうか。それは、およそ人から離れていき、より不可視で盲目的な世界観に入っていってしまいませんかね。よりミクロの何かが見出されたところで、生活に役立つ実用性の度合いにこれといった変化はないですよ。
e029
78ppm
鍼灸
>素粒子やあるいはより先の理論物理を……
素粒子論のような知識が必要であるなどといっていませんよ。現代科学は客観的であることが困難である、抽象的になっているということの例として、書いただけです。
ただし、病気は分子レベルで起きているので、その階層・領域を支配している基本法則である量子力学は必要です。
素粒子レベルは、研究方法も、適用される法則も異なる別の分野であり、医学に直接関係があるわけではありません。
階層や領域の違いを無視して、他者を批判することはやめましょう。あなたとはこれで最後とします。あなたのコメントは、論理も日本語としてもねじれています。
鍼灸という治療法は、いや、現代医学の薬物療法の大部分も行われなくなります。鍼灸や薬物など使わなくても簡単に治療が可能であることは、理論的必然なので仕方がないことです。人それぞれ、立場によって利害が異なるでしょうが。
e030
Rejoice21
鍼灸
Exactness is a fake.
ありがとうございました。
e031
Rejoice21
鍼灸
ツボにせよ、経絡にせよ、古典に記載があるのみで、実体のはっきりしない概念をボンヤリ学術の中で泳がせているような現状です。(政治的にはGHQ論争がありました)
なにかしらの科学の仮説によって『説明がつきそうな理論』をただそこに適応させているのみです。多くの仮説は『実体はまだつかめてないけれども、理論的にそのように捉えれば説明可能である』といったものです。
しかし、その仮説でさえ、ツボが現段階でどういうものなのか、規定されている位置に関係なく人体のあらゆる箇所に『押して反応がある所』がツボであるのか否か、はっきりさせていない部分もあります。『理由探し』『つじつま合わせ』できる仮説をどこかからひっぱり探してくるような状況に陥りがちです。
海外を見渡せば、定義のしっかりした国があるかもしれませんが、資格の効力の及ばない他国の定義は参考程度にしかならない部分があります。
いくら教科書通りに正確にツボをとろうとも、実際の針は1ミリ以上は確実にそこからズレてます。『非ツボの箇所でも治療効果は期待できるんだ』と主張できる『ゆえん』です。
ライセンスは得たけれども、ほぼ『どこに打ってもいい』現状にあり、どこに打っても『効くかもしれないし』『効かないかもしれない』というように、専門性は一定のコンセンサスもなくカオス化してるように思います。まるで、自身らの財産を自身らで放り投げ自己崩壊しているようにも感じられます。
個人的には、ライセンスのない針を擁護する(生理学などの)科学者に『非ツボでも効果はあるんだ』などと言ってもらいたくないです。『あなたが人に治療をせずに、なぜそう言える?』と思うし、資格における秩序を乱す面もあるからです。
厳密には、人が人にすでに備わった何かを、人を介して人に与える場合に、人による科学でそれが解明されるということはないように思います。
e032
Rejoice21
鍼灸
異論や反論を承知であえて追記します。
現代的な針の作用機序を解き明かそうとする研究は、おおざっぱに言えば『針施術がもたらす神経機序』でなく、電気刺激や皮膚をツネル刺激といった『侵害刺激』をラットに与えることで自律神経に見られる一定の反応のシステムを、針にも適用させているのだと思います。
爪楊枝で今、自分の皮膚を刺せば私はとても痛いですが、これらの刺激も同様の侵害刺激としてまとめた上での研究です。『ではなぜ、針なの?』『つねるだけでもオッケーなわけ?』の部分に、答えうる理論として、実体は見つかってないけれども理論的な仮説として、針特有の重い感覚(世界的には『得気トッキ』)を引き起こす原因と考えられる受容器の概念を設定している。ということだと思います。
『場所はどこでもいいのか?』に対しては、古くから圧痛点(押して痛い所)を用いる場合が多かった背景から、生理学的な痛みの研究から発見されるに至った(痛みに関連する)ある特定領域に関する理論を、そこに適用させています。
ここに関して、良い面と悪い面があって『それなら漢方的な(古典的)概念は針治療にいらないのか』『なにも定められたツボでなくともよいのでないか』『針治療でなくとも…』『電気刺激でもよい』『浅くても深くても効果がある』というように、より一層、独自の理論を自由に唱えるようになってきてしまったことです。全体を俯瞰すれば、議論は活発かもしれないけれど、一向にまとまることは永遠にないであろう『ナンデモアリ』の体系になりつつあるのは事実なようです。そして、それらは比較検討しようがないことも難点です。なんのために科学化させたのか当初の目的から、遥かにそれていってる部分はあるかもしれません。実際の施術のどこにどのように成果が還元されているのか、いまいちつかめない現状にあります。
e033
78ppm
鍼灸
ツボという概念は忘れましょう。360余りの正穴以外に奇穴というものがある。中国における奇穴の報告数は1000とも、2000ともいわれるが、すべての細胞は基本的に同じ機能を持っている。つまり、人体はフラクタル構造です。すると、極論をいえばすべての部位がツボになり得る。逆にいえば、ツボという特殊な部位を想定する意味も必要もなくなる。    
単純な原理に基づくはずの理論が、実際の現象に適用するとどんどん複雑化して、つじつま合わせになるようでは、その原理には致命的な欠陥があると考えてよいでしょう。したがって、それらはすべて破棄して、どんなに複雑な現象に見えようとも、単純な原理に還元可能な体系にしなければ科学理論とはいえません。ツボにとらわれると単純化できないならば、ツボというものを考えずに済む単純な理論を構築すればよいだけです。そのためには、物理法則を適用すればよい。
「ツボ」や「気」は、分子・原子レベルの物理的現象です。物性物理学によって説明できることであり、量子力学が基本法則です。         
e034
Rejoice21
鍼灸
参考文献と関連リストに、サイモン・シンのいわゆる『トリック本』とそれへの『反対論文』を挙げていますね。私自身どちらかへ偏ることもできないのが正直なところですが、双方の主張はわかる気はするのです。
サイモンさんなら『プラセボだろうが普通の針だろうが効果に差はないやん。それでなにが針の専門性だよ。実はそんなんなくて、全部プラセボなんだろ?』と言いたいでしょうし、一方のサイモン反論側(この方は面識もありますが)からすれば『プラセボ針にだって皮膚に触れてる時点で生理的反応は出てるし、浅い針も深い針も両方に効果がみられる。それに、論文内では服薬治療グループよりも針の成績のほうが数値良く現れてるじゃないか』と言うでしょう。そういう論争(?)でしょう。オフィシャルな面を省けば、水かけ論に近いです。
プラセボ針(実験用)もやってみればわかりますが、感覚としては皮膚にハンコ押すよりも微細な刺激です。ちょんっと誰かに撫でられてるくらいのもんです。ボールペンの芯先を皮膚上で出すより弱い刺激です。これ、あきらかに誰でも日常生活生じてる刺激なんですよ。キーボード打っててもそうなはずです。とても大切なことは、そこに専門性持たせて商売やってることなんですよ。そうか、これで患者さんから数千円もらってんだな、と改めて自負するわけです。
擬似科学というと、つい未知の領域までもそこに入ってきやすいですが、私は未知のものは閉ざさず、できるだけ興味持っていたいとなとは思います。また科学的にみていこうとすること自体を真っ向反対しないです。ですが、あまりにも検証の余地を飛び越えて、ある時期大きく理論化させてしまった部分はたしかにあるんですこの業界。アトノマツリな気もしますが。すごく厳密にいえば、(文化軸だけで残ってきたような)ツボをつかわないでも効果はあることを、まだ反証しきってない中で、理論化して、その途中経過や段階のことを明確に定義せずに、そのままで『まるでそう反証されたかのように』『科学的に正しいかのように』踊り場へ出してしまいました。それが、今の巷の針の各理論です。だから、ツボで治療しようが、トリガーその他で治療しようが、差はないです。トリガーもツボと7割一致すると謳っています。(実際は1つのトリガーゾーンに複数のツボが該当するでしょう)一生そこには誰も甲乙つけられないです。だから『物理法則が見つかってないから、1症例しても科学論理的に意味がない』でなく、これら現状の中で、最も妥当性・信頼性あると言えるのは1症例でしかないと思っているんです。私は常識的に知られている物理法則までしか知りません。ここには人によって異論もあるはずです。
それと服薬(現代的治療)よりも効果がある、という研究結果の主張のほとんどが『痛み止めしかもらえないような疾患』つまりはそれ以上なす術のないような疾患にたいして、針が効くような場合があるといった報告を取り上げているだけです。よく注意すべきなのは、何も治療せずとも時間と共に自然寛解するようなこともある疾患を対象とする場合もあります。
ご投稿ありがとうございます。
貴重なご意見と思います。実態的な意味での鍼灸は、「幅」が相当広いということですね。
e035
78ppm
鍼灸
長々と書いているが、何を言いたいのかサッパリ理解できません。科学は単純・明解でなければなりません。
「ツボ」に反応があるとか、ないとか、そんなことにこだわっているようではいつまでも科学的な理解はできませんよ。すべてはタンパク質の物性に基づく現象であることを分からないで、あれこれ理屈をこねるのはやめましょう。
ツボだの神経だのと言っているようではダメです。分子・原子レベルで考えなければ。階層が異なるようでは議論が成立しません。現代医学が分子レベルで考えるならば、鍼灸医学も分子レベルで考えなければならない。同じレベルで考えれば、通約可能性の芽もあるだろう。それが要素還元主義というものです。
多くの薬物療法、鍼灸や湯液などの治療法は、まもなく消滅することになるだろうがやむを得ないことです。
e036
Rejoice21
鍼灸
〉78ppmさん
あなたの立場は、どういったものですか。ちょっとそこがつかめません。物理を修めた専門家さんですか。物理に依拠するマッサージ家さんですか。物理療法(いわゆるマッサージや針など、体表面を刺激するもの)における確かな効果は、物理法則がなにがしあるからなんだ、という主張ですか?そのさい、物性による現象だとか、タンパク質の変性が生じてるからだとかは、一体どの物理学者や研究機関で言ってるんですか。あるいは、あなたの主張を支える理論や仮説が何かあるならば挙げてください。知らんと言うのならそれでも構いません。
漢方にしろ、針灸にしろ、これまで実体的な解明はせずに、文化として残ってきただけの構造論的な情報体系を、現代・現行の還元論的な科学に乗っけてなんとか解明しようみたいなことを言ってるんでしょうかね。『正統的な科学の方法』でもって『日常生活における未知の現象』を解き明かそうというのは、それ相応の壁があるとは思います。また、そういった解明を求むようなつよい要請も声も特にないですね。
それにしても、『すでに効かせるために行っている行為』を『それがどのようにして、一体どうして効いてるのか』調べることはとても難しそうですね。因果が逆というか、根本的な矛盾がありはしませんか。
e037
78ppm
鍼灸
>主張を支える理論や仮説が何かあるならば
自分で勉強すれば
私に文句をつけるよりも、自分で分子生物学や物性物理学、生物物理学などの本でも読めばよいだろう。そして、それらの中に書いてある断片的な知識が、1つの体系としてつながるまで10年でも20年でも考え続ければよい。治癒という事実があるのだから、ちゃんと科学的根拠は見つかる。
>一体どの物理学者や研究機関で言ってるんですか。
もしも、すでに解明されているならば、N賞メダルを5個、10個纏めてもらってもよいくらい医学史の中で重要な理論といえるだろう。
1つのテーマ、例えば科学哲学ならば、3年くらいかけて100冊くらいは読んでみれば、何となく疑似科学の判別くらいは分かるようになる。そんなもんですよ研究って。
e038
78ppm
鍼灸
>『正統的な科学の方法』でもって『日常生活における未知の現象』を解き明かそうというのは、それ相応の壁があるとは思います。
>『それがどのようにして、一体どうして効いてるのか』調べることはとても難しそうですね。因果が逆というか、根本的な矛盾がありはしませんか。
どのようにすると問題を解けるのか、必死になって問題の解き方を考えるのが研究者です。できない理由を並べ立てるようでは研究なんてできるはずはない。そんなことも分からずアレコレ言うべきではない。訳の分からないことを書いて、恥ずかしくないのですか?
e039
Rejoice21
鍼灸

なにかアグレッションを込めて言ったつもりはないです。そのような文面だったでしょうか。あなたがどんなコンセプトをお持ちなのか、そこに関心をもっただけです。いずれにしろあなたのご趣旨がよくわかりました。
ありがとうございました。
e040
78ppm
鍼灸
患部から離れた部位に物理的作用を加えることによって治癒する理由とは。
これは物理学における同期と共鳴という現象である。患部のみに対して作用を加えるよりも有効性が高くなる。現代医学では否定されているが、理論的におかしな現象ではないし、事実である。鍼灸という方法では再現性も低く効果的ではないが。
現代医学は生命現象を化学反応の集積と考え、生命が物理法則によって支配されていることを認めていない。間違っているのは現代医学であり、薬物療法の大部分は物理療法に転換することになるだろう。
物理法則を認めないから、エビデンス論や統計学を適用すれば科学的研究を行ったかのように医師たちは錯覚する。
e041
Rejoice21
鍼灸
〉鍼灸という方法では再現性も低く効果的ではないが。
何を対象にして何と何を比較し、そう言えるかが明確ではないとおもう。
私は自分の実感をとおしてこの療法は、あらゆる人の痛みを中心とするさまざまな主訴を軽減するためには、直接的な効果をつよく及ぼさないかもしれないとおもうけれど、そのことがある特定集団において、マッサージより効くかどうか、服薬よりも効くだろうか、占いより効くだろうか、といったことへの是非を私は問えない。それは資格のもつ専門性や独自性を超えたある種の「俗物趣味」のカテゴリーだろうとおもう。それらを一体どう比べようというのか?そこには観測者が見逃している生命へのおごりのようなものがないだろうか。
あなたの、人が物理法則に支配「されている」がゆえ、あらゆる物理的療法は効果があるという立場にたつとして。その法則が仮説段階であるのならば、人がこの世界でそれに従い支配「されているかどうか」さえ依然として不明のままでしょう。
e042
78ppm
鍼灸
まだ分からないのですか、自分勝手な理屈をこねるのは止めましょう。これ以上あれこれ反論を寄せてくるようでは、あなたには科学を理解しようとする基礎が欠けているといわざるを得ない。ハッキリいって、しつこい人ですね。いい加減にしてください。
生命現象を進行させているのは、生体分子機械といわれるタンパク質です。現代医学における主たる治療法である薬物療法は、タンパク質に低分子化合物を結合させることによってタンパク質の機能を制御して病気を治療する。
鍼灸であろうが、それ以外の治療法であろうが、タンパク質をどのように制御するかということが問題なのです。したがって、タンパク質を分子レベルで制御する、それ以外の、例えば鍼を打てば自律神経を刺激して、などという説明はすべて理論的に間違いです。
タンパク質という物質はどのような物理的性質を持っているか、を解明すれば、物理的に治療することが可能になる。タンパク質の物理・化学的な性質については、ネットで検索すればいくらでも調べられるでしょう。大学や研究所レベルでは盛んに研究されていることです。その程度の勉強もせずに、イチャモンをつけるものではありません。
(サイト管理者様へ)論理的にも、日本語の文章としても何を言いたいのか理解不能な部分がある。科学的議論の成立しない、このようなレベルの反論は掲載されるべきではありません。このような人物の言動を見ることは、精神衛生上きわめて不愉快です。
>論理的にも、日本語の文章としても何を言いたいのか理解不能な部分がある。科学的議論の成立しない、このようなレベルの反論は掲載されるべきではありません
――本サイトでは原則すべてのコメントを掲載することとしています。本人より非掲載の申し出があった場合にはそのように対処しますが、サイト自体がコミュニケーション研究の一環であるということを認識いただければと思います。
e043
Rejoice21
鍼灸
もし「針や注射のように鋭利な金属による生体への物理刺激に関する神経学的研究や新たな医療工学での応用」といった研究なら科学的意義はあるかもしれません。「針灸そのものを科学化しよう」等は現実的に困難だと思います。両者は別路線です。そこを同一視する学会や業界は、正直に言っておかしい。
基礎研究での実証うんぬんに関係なく、すでにさんざん巷日常の場で試されている(きた)ような療法は、社会科学などをはじめとする複雑系科学の要素を完全に除外できないからです。針は千年単位ですでに科学的検証をする前から、人に実施されています。還元論によってモデル化した多数性への確からしさを実証する前から、すでに先立って個別性が確立されています。個別性とは、ある意味でナラティブの領域です。
そのような背景をもつ針灸全体を科学規格化する必要があるのは、本来は医学的な実証度のインパクトではなく、信頼性についてです。科学的な効果があるかないかではなくて、そこについてのみ説明責任があります。
それは、医学モデルをとおした各疾患症状への効用の一律の確からしさではなく、安全性や副作用(=何に有害か)といった点が重要であり、それはすでに実証する前からわかりきっていることです。粛々と効果のあったケース報告を我々は積んでいくことだけが求められます。
臨床面で今の現行医学モデルに沿った特定疾患への針介入のランダム試験などには反対します。自律神経のバイオマーカの浮き沈みなどは、あくまで一過性の電気生理的な記録であり氷山の一角と思います。どのような権威による報告であれ、私はそれらに懐疑的です。
e044
Rejoice21
鍼灸
私はこの療法での、タンパク質つまりは分子生物的な研究側面について前向きな言及はしません。私には、それが実際的欲求をみたす為のものだとは思わないからです。むしろ人間の認識の情熱に(ある種)とりつかれたものだとさえ思います。
誤解してほしくないですが、分子生物を批判してるのでなく、そのような科学によって、今まで未知であった人の日常生活の現象が、なんでもすべて書き換えることができたり、一掃することができる、そういった方向性について私は懐疑的です。これまでの持続性を大きく損なうからです。
私は「基本的に効くか効かぬかわからぬ療法である」ということを盛んに言っている資格者です。それはある一面では「それだけあいまいなものだ」「あなたは矛盾をもってやってるのか」と判断されることになるかもしれませんが、不確実なものを含め充分に生活世界で成り立った療法である、ということを主張したいのです。確実に言えることは、この療法自体にそういった不確かさがある、そういう療法だよ、と。
その点をみずからすっ飛ばしてしまって、◯◯に効果がある、◯◯による機序である、などといって科学性をもちだして謳うのは「その善悪を判断したい」からです。そうでなく、まずはそれらへの「理解」が先立って必要です。
その不確実なあいまいさの部分にこそ、特性やキャラクターがありますので、針を医学モデルなどに沿ってランダム試験を実施するような資格者は、その特性をすでに放棄していることになりますし、みずからその特性を述べるべきではありません。
針研究に賛同的ならば、不確実さに盲目でなければならないし。針研究に懐疑的ならば、不確実さに拓かれているべきです。私はじぶんの体験をとおして後者をとります。
e045
Rejoice21
鍼灸
-3
気や経絡、その他未知の私たちに身近なエネルギーのようなものに関して明治大学さんは以下のように書いています。
「経絡やツボという概念が新たに現代科学で認められない限り体系性は高くならない。しかし、現代の鍼灸研究では神経科学的知見も積極的に取り入れており、そのような面から論理が構築できれば現代科学との整合性もとれ、体系性も高評価となる」
・太古中国の原始的な形而上的思想に由来する概念に対し、現代的科学に沿った物質的な根拠を果たしてほんとうに提示できるでしょうか?その命題は、反証可能性さえ持たないのではないですか。真・偽の前に命題は成立しないように思います。 一体どこに経絡はあるのかと言えば、人体の中や何か未知の物質的根拠に求むのではなく、過去の書物の上と著者の想像力の中だけではないでしょうか。それらをあると仮定したら人体とそれにまつわる症状をどう見立られるか、を示した文献的な体系です。師匠と弟子の問答形式で書いてあり、古代の患者をその場で診て治療しているようなシーンはそこに出てきません。
・最新の物理学でどこまで判明しているか、非科学者にはわからない部分、これから何が発見されうるか等はあるにせよ、いずれにしても針師のいわゆる針研究の目標(その他物理療法家の研究)が、そこに向かっているわけではないと思います。その意味では、ほぼ永久に発見はなされない、仮に自分以外の誰かが発見したとしても、それは太古書物のそれではない。そのカラクリがわかりきっている中で、反証可能性だけが保たれて研究している(今は見つからないが、いつかは判明するかもしれないという)業界の学術スタンスは、論理以前に、本質的には疑似科学ではないでしょうか。
・トリガー、ポリモーダル受容器(=未分化の原始的神経受容器つまりは、組織内に解剖学的実体がない、未分類のカテゴリーラベルを貼り整理棚にまとめただけの、科学的にそれ以上手の付けられない受容器群)あるいは、今後のあらゆる神経学的所見等を用いたにせよ、やはり「それそのものではない」代替え物、代用品でしかなく。実際に用いて、それらが特異的作用を発現するような、実践に大きく影響を及ぼすような理論は無く、原始的に古来の手法でやってきたことと比べても、大きな差異は見られないと思います。また、そのような事情を承知で研究しているのだ、という定義や記述は業界のどこを探しても見られないのです。
・何を懸念しているかといえば、技術や理論は一定の科学を導入すれば、より合理的で、よりコンパクトに、実証的(多少は操作的バイアスが加わってしまう)に示すことのできる部分というのが、少なくとも自分達が研究者として稼ぎだす一時代だけは、それが実証的に正しいと謳えるかもしれない。しかしより後の時代には、針や灸においては、ほんとうは科学で示せる部分なんぞ「ほぼ無いのだ」「相交えないものである」ということが、さらにその実証科学によって追求され、いよいよ現実味を帯びた形でそこがクリアになるかもしれない。実証科学の手法によって、鍋底を各々好きなようにかき回し、浮かんでくる具だけを取り上げ実証できたと商売してきたものの、かき回しすぎてどの具も溶けてしまった。この療法における、そういった実証科学的な帰着点のほうが、ツボ経絡の物質的根拠の発見よりか、もっと可能性の高い現実的な予測でしょう。
・これはひとつの長く続いてきた民間療法の文化だ、と一定の留め具付きのパッキングをすみやかに行うほうが、理に適うのではないかと私は思います。現行の医療で対応しきれない疾患は多数あります。医学的な治療法がなく治療体系から漏れ、ルールアウトしていくような症例への適応は、鍼灸においては、安全性や副作用がコントロール下にあれば、なにも科学による実証がそこにどうしても必要だとは限らないと思います。
e046
78ppm
鍼灸
2017年、鍼灸院に行く患者はいなくなり、鍼灸治療は消滅することになる。いくつかの研究上のヒントはあったが、あまり効果のない治療法である鍼灸になんか賛同しません。
まあ、せいぜい鍼灸にかじりついていればよい。
1つ、例を挙げれば、タンパク質と言ったからといって、分子生物学なんてものは眼中にない。物理療法なのだから、分子生物学ではなく生物物理学に基づいて、生命に潜む物理法則を研究しなければならない。あなたは、分子生物学と生物物理学の違いも理解できていないのでしょうね。これをカテゴリーエラーという。だからこのようにバカバカしい議論になる。
e047
78ppm
鍼灸
>明治大学さんは以下のように書いています。
「経絡やツボという概念が新たに現代科学で認められない限り体系性は高くならない。しかし、現代の鍼灸研究では神経科学的知見も積極的に取り入れており、そのような面から論理が構築できれば現代科学との整合性もとれ、体系性も高評価となる」
だからどうだというのです、あんたはバカじゃないのか。何度、同じことを言わせるのだ。そして、明治大学のこのサイトも同様にバカだ。経絡やツボなんて無いに決まっている。タンパク質の物理的性質そのものが情報伝達機能を有するのだ。神経なんて関係ない。
あなたのような人が、私にイチャモンをつけるなんて100年早い。
e048
78ppm
鍼灸
電子書籍サイト forkNより、出版された。
『医学革命の論理あるいは磁気医学の探究』
磁気療法はニセ科学ではない。健康であるためには、生体分子機械といわれ生命現象を進行させるタンパク質の立体構造が正常でなければならない。構造変化が起きると病気になるが、可逆的に復元させると健康を取り戻せる。それは量子力学に基づく「構造相転移」という物理現象であり、そのための最強の方法が磁気制御である。
治療法則、メカニズム、ノウハウなど磁気療法のすべてがここに書かれている。今後、これ以上効果のある治療法が出現することはないだろう。鍼灸や漢方薬、そして、現代医学の薬物療法に取って代わる。この1冊を読めば、多くの病気を即効的に治癒させることができ医療費がゼロになる。(説明文)
ご投稿ありがとうございます。
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Rejoice21
鍼灸
残念なことに、提唱者とやらが観測者かつ被験者なんだな。いっさいがっさい全ては、タンパク質の成因によるものだ、はいいけど今の日々のこの医療枠どうすんの。無秩序的になってしまう。ちなみに論者唱えてるけど、オレは風邪治る前に腹なんか鳴んないよ。たぶん他人とちがう風邪をオレだけひくわけでもないよ。反証というよりかこれ普通の個人の見解で。
あと量子的研究者であることは最低条件なんじゃないのそれ、だって一億分の一の世界から他世界への量子的転移を「実証」という言葉で量子学者は使ってないもん、まだ。今のこの物質還元の実証的世の中の枠の外の話を、その枠の中で生きてる人たちに理解させたいなら、まずあなたがその枠の外で活躍する研究者であることは必須でないかしら。
現行医学へのルサンチマンにしかならないのが、勿体無い気がした。現行のものを上回るために、誤りや不十分を知らしめるために、何かを特権化させたりするために新たに何か発見するわけではないでしょ。動機が曲がってしまうよ。まして他者の健康に関する出発点から、なぜ今の医療社会への反動形成にまで論が膨らむの。無理解をどうにかして理解させたいからでしょ。研究過程でその動機のトゲはずっとあなたについて回るだけだよ、理解がない相手にじゃないよ、それは最後はあなたに向くでしょ。他人のテーマなので自由だけど。向かうトコはオルタナティブファクト、SF的な多世界解釈か、意見の合う同人サークル内のドグマだよ。
あなたのように磁気的理論を駆使した療法に向かう理学療法士や針師はけっこういるから周辺をあたるといいかもしれない。ちなみにオレはあなたと同様のこと言うような治療家少なくとも数人知ってる。そんなに目鼻明かすほどの新しいことでもないかも。それ以上はもはやこの投稿の鍼と灸のネタ枠をはるかに超えるのでコメントできないし、あとは磁気療法のほうでコメントすべき。とりあえずネタの枠をもう出過ぎてるよ。オレはなんだこの場合オッカム的と言えばいいのか、不必要な存在意義をわざわざ増やして一体どうするの、そういう視点なだけよ。
e050
Rejoice21
鍼灸
ラット系の基礎研究の知見によるポリモ受容器仮説(?)
これ、侵害受容器(侵害刺激に応じるもの)だと一応定義されてるけど、非侵害刺激にも応じるからな…。押す(触圧)、刺す(痛み侵害)、どっちを脳に伝える受容器なんか、あるいはどっちにも応じるのか。ここが不明瞭。測定技術に限界がある。でも、いちお侵害受容器なんだと定義されてるよ。研究はそれに沿うんでしょう。
ヒトの筋組織への触知での経験的な知見から得たトリガーポイント(?)ないしトリガーゾーン(?)仮説とこの仮説をドッキングしてるよね。受容器が発火するとどうやら応じる特異的な筋組織ゾーンがあるらしいよ。でも、受容器は筋組織に限らずそれ以外にも、あらゆる人体組織に広く分布してるんだってさ。
そんで一方で、大学機関をはじめとする医学モデルに沿った各臨床系のプラグマ的実証の示し方。要はウンヌンえーから「針やってみてどれだけ効果あんねん」だけを示す試み。多施設ランダムに始まる、10人、100人に一律の鍼灸効果を謳うような研究のこと。これは上記の基礎的知見を明確にハッキリ否定せな、どう実施したって論理は到底成りたたんよ。その設定真理(仮説)とは、相入れんので。でも、これどの論文も上記仮説を支持してる文脈なんじゃないのかね。
書物上のツボ・経絡的フィクションであれ、上記の生理学的(=単一神経の電気生理的)仮説であれ、何か「無いものを有るとして」設定してる真理の仮説設定である点で、体系は同じなので。情報体系の使用言語がちがうだけで。古典的なものなのか、科学的な用語なのか。でも構造骨組み自体は変わらんよ。実体の無いかもしれない物に実体が有ると意義を与えた真理設定なので。オレはもうこれフィクションやん!でも、フィクションがたまにフィクションの箱を出てリアル世界に効果をもたらすねん。という立ち位置にたってる。そこの確率論を謳うこと(何パーセントが等しく効くか)について考えるのはバカらしい、はっきり言って。
この論に沿う以上、針の研究ってのは、確実なピュア科学ではなくて、科学的な実証手法だけ取り入れたイミテート(模倣)科学でしょ。
e051
Rejoice21
鍼灸
そこには、リアルなオキアミ餌と、何かを模倣したルアー餌くらいのちがいがある。たしかにルアーでも釣れるからええけども、針プラグマ研究の場合では、服薬(=リアル餌)と併用なのでね。ルアーとリアル餌どっちも水面に垂らせば、ある確率でこれだけ釣れんでと謳ってるんだから。
根底的にはそれをリアルな科学と呼んだらあかんよ。評価にいちゃもんではないのであしからず。
e052
あははは
鍼灸
>78ppm
さんざん鍼灸を根拠なしに主観で狂ったように叩いておいて、カルトの磁石とはw何てコント?
マルチ商法の販売員ですか?
庶民の味方の鍼灸の方が遥かにマシだな
被験者も鍼灸の方が上。負ける要素がない。
e053
Rejoice21
鍼灸
この研究構造において、例えば服薬でそれ以上の改善はない、かつ重篤な疾患(主にがん等)に対して、薬物併用での針効果を押し出す研究というのは、やはりそれ相応の「うさん臭さ」や「効果の押し売り」のようになってしまいやすいもので。ここには線引きがいるような気はする。それこそ代替療法の実施可能な選択肢を複数呈示して、その中から対象者にセレクトしてもらったっていい。
ラット的基礎研究の中で、毎度の「仕事のための研究」「トレンドだけのすぐスタれる研究」ではなくて、よほどの明確な知見がそこから出て来ないかぎり、針でさえヒト実践に即移せない問題だろう。
現代的な疾患を対象にするより、もっと身近な暮らしに根差した当たり前の症状に対して、針が適用してきた歴史のほうが長い。中には、もちろん病院紹介に至る内科的所見を見つけるケースも若干あるが、針がカバーしうる領域というのは、本来その領域まででしょう。
医学的な諸知識は針師にとってあくまで知恵であって、(厳密にいえば、診断行為ではない)針的行為とは別個であり、両者をつなぐために科学的意義付けを与えることは、おそらくできない。
e054
Rejoice21
鍼灸
正統であれ、怪しいのであれ、いずれにしても特定科の何か重篤疾患に関する単独の針効果を謳う文脈の信頼性はあやしいと思う。ひとつの試験にしたって、長い期間にわたり何十もの検査とその数値から、良いデータだけ取り出した有意差から有効性を謳うことさえ可能っちゃ可能。テクニカルなこといえば。自律神経系の指標は、どれも変動だってかなり大きい。
ほんとうにそれが、たかだか人体に数本細い金属を刺すだけの行為にとって、医学的に重要な検証なのか。もう少し常識的に考えたほうがいい。まして、基本的に寛解がないものを対象にするなら、なおさら「その効果」なんて本来大きく言い難い。だから、昔の考え方(ツボや経絡つかうオーソドックス)を省く現代治療なんてのには反対。針師の医学知識は、正確さは重要だがあくまで知恵としてで良い。得た医学知見によって、針体系の中身を書き換えるまでには至らない。
むしろ実践面というのは、多愁訴的マルチな総合医や家庭医的な役割を求められているほうのがどちらか言えば今のコメディカル系全般。
実証すればするほど、本質から遠ざかっていく模倣科学の仕掛けには(針の科学的根拠を信じてやまない人がマジョリティかもしれないが)個人で気づいて何とかしたほうがいい。
e055
Rejoice21
鍼灸
医学全般において、それが他人(の痛み)を知ることのない、知ろうとしない知識の体系ならば、そもそも科学する必要がない。
「どういう研究計画でいけば、より利益のある啓蒙が可能か?」「自分の治療を信じてくれればあらゆることが治る」こんなことが、さも当然のように横行しているが。この間違った態度の上に(昨今のトレンドなのか)弱者に過度に寄り添う“やさしい”専門家らによる慈善活動のようなものでかぶせた研究が行われる傾向にある。そんなことをやってれば当然、その研究の学術は必要なくなる。
私は「針一本で抗癌剤による症状がすっきり良くなる」などと謳う業界の権威らには断固として賛同しない。それがもし仮に科学的であり正しいというのであっても、それならそれで結構。
e056
Rejoice21
鍼灸
そろそろこの療法が一体何に効くのか。正確に解明することは難しくとも、ある水準を提供してもいいように思う。巷にある大抵の効果が謳われているような「◯◯疾患への針効果」については、残念ながら明確に「この病気のこの症状について確実にそれを取り去ることができる針施術」というのは、事実上無い。(現時点で、有るか無いかの2択で言えば、無い。存在しない)自律神経にまつわるあらゆる症状に「適応させることはできる」(乱暴な施術でなければ副作用がほぼない)が、「症状をとりのぞくため」に直結した物質的発見や知見は存在していない。ほとんどが仮説的設定のもと理論がマスキングされているはずだ。この点については講習会マニアにならないことを勧める。
加えて、美容・性関連(小顔になる、痩せる、不妊(男女共に)、生殖器系など)には、古い時代に針か薬草剤しかない時代に用いられてきた錬丹的(=健康づくりの一貫)伝統や背景があるだけで、現代的な効果つまりは、今のライフスタイル生活に見合っためぼしい美容効果が現れるかは、正直なところかなり微妙だと言っていい。ユーザーに確かな実感が得られる美容サービスなら文句はあるまい。医学的には針施術によって、顔が痩せることや体脂肪が減ること、咬筋が縮むこと等は報告されていない。
では、何も良いところや取り柄が全くないかと言えば、あるていど明確なものがひとつ存在する。「身体症状を中心とした、今そこにあるあらゆる痛み」に対してである。腰痛で動けない場合や、膝を曲げるたび痛む場合、職場にも通えぬほどの慢性頭痛、胃腸薬を飲んでもキリキリ痛む胃の不快感など。緊急的な応急処置が必要(脳や心臓などの)な大疾患ではない、病院ではそれ以上アプローチの仕様がない慢性的痛み症状にたいしてのみ、軽減あるいは消失の即効性が期待できるだろう。痛みが局在的であること、今その痛みがどこにあるかだいたいめぼしがつくものであることが鍵だ。(もちろん所謂プラセボ効果がそこに含まれていてもいいだろう)
実際の肌感触としては、針によるチクッとした刺激によって、主訴の痛み感覚への注意をそらす(逃がす)ことで芽生える現象効果だと思っていいかもしれない。
だいたいそれらの効果は針1回で即現れるものであるし、後ろ向きに見積もっても3回試せば、効くか効かぬかは充分わかると思う。また効果の持続に関しては残念ながら下がり曲線を描くだろう。はじめの数回のほうが最も効果を実感しやすいはずだ。初回の時点で功を奏すことが最も望ましい。ひとつの症状に何十回も試みるような施術ではないかもしれない。
e057
Rejoice21
鍼灸
根底的には古典上の書物フィクションの体系であり、それは決して物質還元されないものなのだから、両者のあいだのことについて【理論】の科学的検証はできない。だが、操作的に両者をつなごうとすることによって【理論面】の科学的理解が始まった。平たく言えば【施術面】の意義を意味づけるための形容詞の作成だ。我が国ではすでに大正期に始まっていただろう。当時の生理医学者が(その時代の先端であった)ラット的電気生理学における自律神経の方法論を用いて、東洋的な医術への医学的意味づけを行った。こうして啓蒙活動や牽引がおこなわれ学校創立や健康増進医療経済へとつながったのだろう。
しかし、ここにある時期からエビデンス主義としてプラグマティズムの考えが横から入ってきた。仮説や観察的観測事実はさておき、まず実践してみてどれだけ効果があるのか、その証拠を提出してくれ、それをただやってみて数理的に算定しようといった手法はほとんどこれだ。臨床的実施での効果検証に適している。
現在の地点でおよそ言えることは、心と体は紙面の表と裏であり同時観測することはできない。未知の古典的事実に、医学的意味を与えることは一見名誉あることかもしれないが、そもそも医学をはじめとする物質科学と東洋的なものとはどこまでいっても相容れない。一方が片方に寄り添うことではなく、相容れないことだけがキャラクター特性だ。【理論】の本質的構造だけがそれを保つ。【施術行為の実践】について1人称的ないし、専門家小集団的コンセンサスとして科学的講釈を盛り込むことなどはまだ可能だろう。互いに寛容であるほうがイメージが良い(西と東の統合医療などの謳い)ものの、【理論】の元々の性格がその向きではない。
ある時期からエビデンス実証の方法論が大きく普及し、一定の年数が経過しつつあるが、それをさらに試みるほどにこの業界(ないし、そこに科学的意味を求めるような代替療法全般)は、プラセボの本当の意味を知るしかなくなる。そういったロジックに傾くしか選択肢がなくなるだろう。つまりプラセボは元来、宗教的意味合いを含んだ言葉であり、それは「神へのおべっか」だろう。「本人を、さもその人とはちがう人であるかのように思わせる、ある意図をもった操作的言動」であったのだから。今の私らで言う【ヨイショ】のことであろう。もちろん困った誰かを励ますことは人道的だし相手も一部勇気を回復するかもしれない。しかし、ヨイショが幅を利かせ過ぎては少し医療サービスとして(まして◯◯療法として)納得いかない部分もある。
針行為を実証させるほどじつは、客観的検証がおこなわれたという証になるのではなく、患者やクライアントへ向けてヨイショすることを助けるにすぎない療法であることを、むしろユーザー体験のほうで、さらに実感するにしか至らないのである。(提供者側の実感ではないことに注意)。今まであった専門の【わからなさ】が専門家の手を離れユーザーへとそっくりそのまま移される。【わからなさ】のブラックボックスは、本来施術者が抱えて持ちこたえていく物だ。ユーザーの判断に丸投げするものではない。これが実証主義のもつ負の側面ではないだろうか。ひとむかし前の「町のあかひげ整体に騙された」ようなユーザーのほうが、健康にまつわるサービス関係で得られる幸福度としてはマシだったわけだ。そしてやがては、自分達が自分達を、得られたエビデンスによってヨイショしあうとかいう資格同族的意義しか実証主義は持たせられないのである。これは実証主義の目的と反する。なぜなら実証主義は当初一律の、揃った一致見解を数値的に得るためのものであり、師弟同族的ドグマを排し、広く共通見解を得るためのものであったはず。しかし、これらの業界全般で何かが科学的に実証されたと謳うほど、【実証というお墨の付いた治療者側】からのユーザーへのヨイショの機会がますます増えるという構図なのだ。
今現在は「セルフケア」などという、要は自己管理こそ大切だ、といった商法現象にまでなってしまった。それができたらセラピストなんてそもそもいらない。いわゆる「擬似科学商法の弊害」もこういった部分にあるだろう。溝や距離は一見科学的実証によって縮まったようで、その内実は広がっていくのだ。学術による使命感があるなどと謳うような啓蒙牽引、およびこの分野の科学的意味づけを容易に拡散させ用いることこそが、ある種の毒撒き行為なのである。実証という能動的な広く理解を得るため働きかけるオープンマインドではなく、専門領域に関してクローズドかつ外部の受け入れ体制は良い、そういった受動的スタンスの確立をめざすべきだ。おそらく医学部漢方系領域などに代替療法を医学研究レベルで入り込もうとさせた地点から、なにかを大きく見誤っている。
これらが所詮、マスキングされた仮説的デスクワーク理論の集合でしかなく、施術やセラピーという痛みそのものを取り除くために直接関与する内容ではないことを扱うにすぎない。それが研究の中身であり実態である。ユーザーも提供者もそれらをよく知るべきである。http://www.ahaki.or.jp/research/data/itami_text.pdf 参考をあげておく。科学的意義付けとは、それそのものから距離をおいてそれを取り扱うことに他ならず逆効果なだけだ。専門の中身をオープンに晒す必要はない。
e058
ジュウレンジャー
鍼灸
歯科医が診療室で、「鍼を覚えたら役立ちそうだ…」のような話をしていましたが、その後、養成学校に入学し、鍼灸師の有資格者になっています。痛恨の極みにある歯科治療で、痛み緩和効果があるとされる鍼灸が注目される事は理解できますが、ネコにも鍼灸が効くという記事に驚き“鍼灸 ネコ”で検索したところ、“日本動物鍼灸治療研究会”とか、犬ネコの下半身マヒに鍼灸が効くという内容がヒットしました。
鍼治療で麻酔効果が現れる?
1.鍼麻酔で手術が可能 
2.鍼治療が鎮痛物質エンドルフィンを産生する。
3.鍼治療は血液中のエンドルフィン濃度を上昇させる。 http://www.meiji-u.ac.jp/secretar/ekimae/web7.htm
痛みの基礎と臨床 痛みとエンドルフィン 特に針麻酔との関連について http://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200902045103914898
お灸や鍼などネコの世界でも東洋医学が注目…。
漢方薬の投薬ではイヌの倍効き、1週間ぐらいで改善を実感する飼い主が多い。https://dot.asahi.com/aera/2018012500014.html
冷え性にはお灸を、ネコにも東洋医学の時代 https://dot.asahi.com/aera/2018012500013.html
鍼灸の刺激が脊髄に伝わるのなら、
犬ネコの下半身マヒに鍼灸が効くというのも、
有り得ない話ではないのかもしれないと思いました。
北里大学東洋医学総合研究所漢方鍼灸治療センター副センター長・伊藤剛医師「ツボは、痛みや熱などの刺激を感知するセンサー『感覚受容器』の一種。鍼やお灸の刺激を脳や脊髄に伝え、痛みや筋肉の緊張、自律神経、ホルモンなどを調整します」
ご投稿ありがとうございます。
ネコに鍼灸ですか。ユニークですが、灸などのときにじっとしていられるのでしょうかね。
東洋医学の効果がヒトよりも動物に効くのであれば、そうした方面での需要はありそうですね。
やや話は逸れますが、競走馬でも「笹針」という瀉血のような治療法が試されていると聞いたことがあります。最近はあまり見なくなりましたが、一昔前までは多かったそうです。
e059
ジュウレンジャー
鍼灸
馬にも鍼治療が行われているのですね。
笹鍼について調べていたところ、牛や豚への灸も行われていることがわかりました。ここまで来るともはや「何でもあり、何でも鍼」の心境です。
犬の輸送ストレス軽減のための新規鍼治療の試み。
わが国でも,家畜の治療を主体に行われており、
競走馬に施術する笹鍼(瀉血),馬の関節炎,腰背痛症,
便秘症に対する鍼治療や豚・牛の繁殖障害への灸療法が
知られている[5-7].今回,筆者らは犬の輸送ストレ
ス軽減のための,より副作用の少ない新規鍼治療を試みたので報告する。
http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06903/c1.pdf#search=%27%E7%AC%B9%E9%8D%BC%27
笹鍼(瀉血)は人では、献血の針がそれに当たりますが、人の場合も瀉血(献血針)は健康にも言いと言われます。「献血のすすめ,年2回の瀉血(献血)により発がんが有意に減少したという報告もあります」
http://pathology.or.jp/ippan/pdf/toyokuni31.pdf#search=%27%E7%8C%AE%E8%A1%80+%E7%80%89%E8%A1%80%27
>ネコに鍼灸ですか。ユニークですが、
>灸などのときにじっとしていられるのでしょうかね。
私もその点が気になりましたので、
早速調べてみたところ、動物鍼灸専門治療院では、
可能な限り患者ペットさまに負担のかからない、
低刺激での鍼灸をこころがげているそうです。
そう言えば、人間用の鍼にも「皮内鍼」「梅花鍼」「集毛鍼」「電子鍼」「レーザー鍼」など、痛くない鍼がありました。痛くない鍼(指)で施術しているのが指圧でしょうか?
ずっと昔の話ですが、家の近くに、
蜂鍼治療専門の看板のある店舗がありました。
蜂鍼の鍼師は一代限りの国家資格を与えられた人がいた、
という内容の記事を読んだ覚えがあります。
一代限りなので、現在では国家が認定した蜂鍼師は
いないと思いますが、韓国や中国では盛んな療法のようです。
一応日本にも蜂針療養の資格がありましたが、一部の鍼灸師に許可されて以降、その資格そのものが無くなったみたいです。https://blog.goo.ne.jp/uncle-bee/e/7a50b5f3c11ab6b2024c3a5473d1ec31
最も良く利用されていたのは蜂針療法(Bee venom acupuncture)有害事象は、非定型マイコバクテリア皮膚感染、膿皮症/膿瘍、過敏性反応、脂肪組織萎縮症、感染性皮膚疾患。蜂針療法は関節リウマチや脳卒中後の回復への効果を期待し、各国で医学的な臨床試験が行われている。蜂毒を体内に入れるため日本では認可されていない。
http://bhn.jp/news/47872
西新宿のペットのはりとお灸の専門治療院です。
4. やさしく心地良いはりとお灸をいたします。
使用するはりには、刺すはりと刺さないはりがあります。
お灸は通常毛の上からシート貼り、
その上にモグサを載せて行いますので、
皮膚に直接接して火傷することや毛が燃えてしまうようなことはありません。直接からだに触れない棒灸等を用いたりもします。http://www.houkin-pam.jp/about.html
猫のちいにゃんは、身体が弱いので、10年前からお灸で治療をしています。もう火にも慣れっこです。
https://www.youtube.com/watch?v=yiLyOXK9a10
この前行った動物病院で、お灸受けに来てる猫けっこういた。https://twitter.com/butasan_buubuu/status/648879575301095424/photo/1
ビワの葉温灸用 もぐさプラス(短くなった棒灸つぎたし用具) (人・犬猫兼用)
https://amrit-dc.co.jp/item/detail.php?id=3427
たいへん質の高い返答ありがとうございます。
>犬の輸送ストレス軽減のための新規鍼治療の試み。
――お示しいただいた文献を読みましたが、かなり挑戦的(先駆的)な実験ですね。興味深かったです。ありがとうございます。
内容的には、伴侶動物に対するはっきりとした効果を検証するにはプラセボ群を設定した比較試験が必要でしょうか。また、文献内の測定項目「元気消失」については、だれが見てもはっきりとした変化みたいなものがあったのでしょうか。評価方法が「飼い主による観察」だと主観的すぎるように思えるのですが。
>そう言えば、人間用の鍼にも「皮内鍼」「梅花鍼」「集毛鍼」「電子鍼」「レーザー鍼」など、痛くない鍼がありました。痛くない鍼(指)で施術しているのが指圧でしょうか?
――なるほど。指圧やマッサージも広い意味で鍼による刺激と「同等」とみなせるかもしれませんね。「身体刺激による治療法」などという大まかな括りで体系化されていくと、研究方向性としてよいかもしれませんね。
e060
Rejoice21
鍼灸
横ヤリですまんが、目を覚まそう針灸会。
鍼麻酔のほとんどは、麻酔導入“薬剤”を併用してる。論は英文かもしれないが、よく読んでみよう、読めば大抵わかる。厳密には、麻酔薬剤の効果が大きいと思う。オレも友人も、いわゆる鍼麻酔で親知らず抜いた経験がある(針のみ、麻酔薬なしの試み)。主観的痛みでしかないものの本気で痛かった。鍼麻酔なんて曲芸のヤラセ。
伊藤剛氏がなんと言おうが構わない。だって彼はそれで飯食っているのだから。科学的実証における客観性の構築はほんとにヒドい針灸。ちょっとどうにかすべき。外野の立場の人間からみてもそれは自明。
動物に針出来るのは獣医師のみ。歯科医もインプラントで食べられなくなってきたから、健康だの口腔養生だの食文化だのこの頃、言い始めた。医療産業が仕掛ける仕掛けにもユーザーはしっかり目を開こう。生活上の自分の実感的主訴(今ほんとうに困ってること)と、各医療職種が社会に仕掛ける誘導的健康上の商法トレンドとをしっかり区別をしよう。明治大学にいま一度言いたい。担当者は院生だろうか不明だが。社会学(この企画は広く一般市民にスムーズな科学的判断をうながすものだろう)とは一体何のためにあるか?とても大事なことだ。
e061
Rejoice21
鍼灸
瀉血と献血はちがう。瀉血は古来からの哲学的思想上の(悪い?)血分を体外へ排出させる手技のことだ。しかし実際は、皮膚を僅かに切開しごく少量血液を出す行為だ。相互関連がはっきりしないからガイドラインでは広く認可されてない。一方で、献血は決して【健康のため】の行為じゃない。献血の目的は一定量の血液を正確に採取することだ。
ここに形容詞をつけて【健康によいのだ】【やってる集団ではがん患者が少ない】こういうふうに陽性の意味を意義づけ研究することが、科学的に滑稽な研究だと思う。そうして同路線での研究の知見が波に乗れば、これはやがて新たな医療サービスやビジネスになるのだろう。健康産業的な大きな謳いも完成する。(がん細胞さえ、今この瞬間も人間の体内で、作られたり、壊れたり、を絶えず繰り返してる)
過去の偉大な画家の部屋代レシートが、今現代になってそれが出て来たとする。それがどんな部屋の、どのくらい高級なルームで、どの居間にいたか、そういったことを科学検証することは、科学的意義がない事と同様だ。部屋は部屋だ。世界中どこであろうとも。三畳タタミでも、高級スイートでも、どっちだって構わないのだ。そこで活動して創作された彼のワーク中身が最も重要なのだ。もっとも、そういった研究手法は人文科学系などで非常に流行る(流行った)方法論なのだろうが…しかし、これは誤謬だ。
e062
Rejoice21
鍼灸
【皮膚面】を手でさすろうが、押圧しようが、指でつねろうが、同じ物理刺激だ。しかし針だけは、一応【体内に】まで物理刺激(痛みや押圧刺激)を加えることができる手技だ。刺さない針などであれば、おそらくマッサージ師のあん摩手技と刺激は同じ部類だ。
【体内に】(=体表面から僅か数センチの組織・膜構造に)、一体なにか未知のものや機能があるのか、それがいわゆるツボの効果の一端に関わる何かなのか、それはわからない。現在までで、その部分の説明づけを担ってきたポリモ受容器でさえ、理論仮説は相当に脆弱である。確固たる説得力をもたない。【皮膚面】でも【体内】でも、ありとあらゆる場に存在することが予想され、ありとあらゆる刺激に応答するからだ。そして受容器は間接的事実から存在を想定し、理論設定したものだ。要は【存在してるテイで】話を進めてるのだ。この点は【ツボ】も同様であろう、あるかないかわからんが【とりあえずあるテイで】運用しているのだから。科学も古典もまるで同様だ。
結局、研究を進めていくと一般的に、刺激入力総量がより多いのは、針よりマッサージだろう。与える刺激面積からしてすでにちがうように。だからこの線で、もし比較研究していくとすると、当然マッサージがより効果的であるという結論にいたるのだろう。MRIで見れば一目瞭然かもしれない。針行為よりマッサージのほうに、リラクゼーションや鎮痛にまつわる脳領域が反応としてよく現れるかもしれない。
研究は結局のところ、痛み刺激を体内深部に伝える、という針行為の【核心部分】を、迂回するようにしてしか研究できないのである。その核心部の検証解明にまではどこまでいっても至らないのである。ゆえに、最も科学的なことは行為実践そのものである。研究のほうが科学的水準はむしろ落ちる。この枠内では実践行為のみが最も科学的である。つまり、針は科学的客観性を持たせられない行為であるということだ。
仮にどうしても客観性を持たせたければ【服薬行為と併用した研究】などのように、一定の条件付き枠組みの中で、最大限可能な客観性を確立するための研究、ときちんと明記し、謳わなければならないだろう。
e063
ジュウレンジャー
鍼灸
>内容的には、伴侶動物に対するはっきりとした効果を検証するには
>プラセボ群を設定した比較試験が必要でしょうか
薬品でもプラセボ群と比較しなければ、
効果を検証できませんから、プラセボ群(刺激の弱い円皮鍼など)を設定する必要はあると思います。
>また、文献内の測定項目「元気消失」については、
>だれが見てもはっきりとした変化みたいなものがあっ>たのでしょうか。
>評価方法が「飼い主による観察」だと主観的すぎるよ>うに思えるのですが。
元気消失のはっきりとした変化は、恐らく元気消失の直前の文章、
「乗車あるいは乗船中の嘔吐や流涎の有無」が一つの指標となっているのではないでしょうか?
(個々の犬に特有なその他の指標もあるのかもわかりませんが…)「嘔吐や流涎」といったはっきりとした症状がありながら、“元気ハツラツ”は有り得ないので、ある程度の目安になると思います。
診断は、そこ(部分的、具体的症状の確認)から入って、犬の全体的な容態を観察し、飼い主や獣医の方々は、
総合的に元気消失と判断しているのではないかと思うのです。
>乗車あるいは乗船中の嘔吐や流涎の有無,
>元気消失といった一般状態を飼い主
>が観察し,その観察結果を獣医師が聴取し評価した
>指圧やマッサージも広い意味で鍼による刺激と「同等」とみなせるかもしれませんね。
個人的にはそう考えています。
特に指圧の場合は鍼と同じようにツボを圧迫刺激することから、鍼に近い要素を感じています。
(指圧のツボ)
http://www.kenko.gr.jp/tsubo/
(猫の経絡)
http://blog.livedoor.jp/maguro6/archives/51539763.html
経穴とは何か佐々木 和郎
鈴鹿医療科学大学 鍼灸学部 鍼灸学科
http://www.suzuka-u.ac.jp/information/bulletin/pdf/2013/13-02-sasaki.pdf#search=%27%E9%8D%BC+%E3%83%84%E3%83%9C+%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%27
コメントありがとうございます。
>元気消失のはっきりとした変化は、恐らく元気消失の直前の文章、「乗車あるいは乗船中の嘔吐や流涎の有無」が一つの指標となっているのではないでしょうか?
――確かに、文献を読む限りだと、これを基準にしているようですね。なので、
>診断は、そこ(部分的、具体的症状の確認)から入って、犬の全体的な容態を観察し、飼い主や獣医の方々は、
総合的に元気消失と判断しているのではないかと思うのです。
――おっしゃる通りだと思います。「何らかの標準化された尺度があるのかな?」と少し気になったので先のような回答をした次第です。丁寧にお答えいただきありがとうございます。また、
>(猫の経絡)
http://blog.livedoor.jp/maguro6/archives/51539763.html
――猫の経絡がこんなにも詳細に理論化されているのは知りませんでした。面白いですね。
e064
Rejoice21
鍼灸
http://shinkyu-net.jp/archives/1784
良い例なので載せておくことにする。議論の対象は、抗がん剤による「副作用」に付随する【各身体症状】にたいしての針効果の検討である。客観的見解から見ても、身体症状におけるあらゆる痛みに、針はあるていど効果的なのだから、それらにも応用可能な適応範囲内ではあるだろう。
しかし、こういう議論が進むほど、しばしば保守側が『針すると、がんが消失・縮小する』『スキンリカバリーによって抗がん剤による皮膚炎などが良くなる』『針してるグループのほうが予後が良い』『がんに効果的な代替療法』『針していると、血液マーカが安定する』といった一見正しそうだが、大きく誤謬のある医療研究のほうへ過度に傾倒していくものだ。
こうなると、はじめの「痛みをとりのぞくための施術」という出発点をもはや忘れ、流行り廃りがあるマネーチャンスのみのトレンド研究的キーワード化現象に陥る。
私がずっと言ってることは、この【研究謳い(養生的形容詞の作成)のための研究】をやめたほうがいいという事である。【どう良いのか】【どれほど効果的か】針施術を医学的に検証することにおいて、こういった形容幅をどれだけもたせることができるかということについて研究する必要性は全くない。
e065
Rejoice21
鍼灸
医者が施す服薬や手技は、その導入実施以前にまずは研究成果によるものだろうと思う。
一方、代替療法の各施術者にとって、一定水準を充たした方法ならば研究成果によらなければならない本来的な理由はない。資格として認可されていて、その範囲内で実施するだけだ。各手技にどのような効果があるのか、何に効くのか、効かないのか。それらを検証した客観的指標のようなものが付随されていれば理解を助けるものの、実践行為自体に、特に(医学的に)大きな問題があるということではない。
また、痛みが消失したり和らぐことや、ある種のリラクゼーション効果、養生への期待度、自身の身体への(東洋的な面からの)関心度、こういったことは研究成果によって明らかになったことではない。
これらは長い年数と(1回の臨床研究のn数などよりももっと)膨大な人数における経験的事実なのではないだろうか。ゆえに、研究的事実とは大きく異なるものであるように思う。
両者間の事実を、どうしても研究行為によってドッキング【したかったり】、つなぎ【たい】のであれば、物質的な精密検証でしか研究手段はなく、今のところそこが明らかになるような可能性をもつ機器はこの世にない。技術精度に限界がある。
またそれらをもし研究的事実によって書き換え、一掃【したい】のであれば、当然得るものより失うもののほうが大きいことは自明で、時代が進むほど【研究することが客観性があり社会的に正しい】という時流のもと、構築されたストックデータはさらに縮小化することに他ならない。
答えは2つで、工学面で自身で機器の開拓するか、次の時代の到来を待つか、どっちかであり、それ以外の研究事業にさほど明瞭な意義はもたせられない。そうであるから、そもそも余計な研究を乱立しボコボコ思うままに実施できるような分野では到底ないということだ。
e066
Rejoice21
鍼灸
・針研究における科学性の最終論
病院とタッグを組み針を医学的に研究する大学側は「より客観性をもった科学的根拠ある学説を」と主張する。なぜなら巷には多くの迷信や紛いに似たヘンテコ医業も存在する。そのためには科学的根拠の確立が大切というスタンスである。これらは医学モデルに沿った実施である。
一方、巷の一般的なセラピストは、医学モデルに沿わない症例ばかり多く扱う。もっといえば「教科書や研究どおりの患者なんていない」わけで、非医学モデルに日々向き合ってるわけだ。患者の声も「医者の薬じゃ良くならなかった」これは誰もがほぼ必ず聞く訴えだ。そういう時代になった。
ここに両者の交通不全が存在し、研究側の主張には誤謬がある。構造は結局「彼らが研究すればするほど、迷信ヘンテコ商売がさらに世にはびこる」のである。研究する側と、網目くぐって儲けたい側とは(オモテムキ主張が真逆で互いに犬猿かもしれないが)じつは表裏一体なのである。
研究者側は、啓蒙だとか、資格者のためだとか、業界や社会のためだとか。色々と大義を語るが、安易にそう言えないのである。(要人には善人もいるから申し訳ない限りだが)
紛い物(者)は、幹に枝葉を生やしてみずから逃げ道をつくり分岐する。すなわち、かなりしぶといのだ。研究側の啓蒙活動とやらは、より一層、紛いや悪しき療法を拡散させるといったロジックを既に内包してしまっている。なぜなら、針研究は、医学を模倣した研究しかして来ていないからである。
それらを今までの理論(古典やその他伝承のもの)と、昨今の理論(◯◯エビデンスや◯◯理論仮説など)、そのどちらか一方を選択しなければ成立しない今の時代のこの事態は、研究者らの大敗でもある。計画が悪かったか、怠慢だったか。簡単に後戻りもできない。
針のエビデンスは、一部分を示す科学的根拠でしかなく、どの主張も大事なことを何も教えてくれない。科学を模倣しつくりあげている証拠だから説得力に乏しい。それらをただ単純シンプルに画一的に取り扱える便利な道具であるだけだ。実際こそ、すなわち、非医学モデルにあたるこの日常こそは、まぎれもなく複雑系である。線引きは相当むずかしい。
私は、ではいったい何を判断の材料にしているかというと、納得のいくまで説明し何をどこまで応えてくれるか、だ。そしてひとまずの安心と見通し、さらには展望を的確に与えてくれるかどうか、だ。できれば施術料以外の部分でも。
e067
Acu and Mox
鍼灸
美容針に科学的証拠は見出されているのだろうか?
https://media.carecle.com/articles/sfN3C
医師監修による文面だが、効果を述べるにあたっては、「〜という可能性がある」など、〈客観性に乏しいながらも、鍼には肯定的である〉といった曖昧な立場が貫かれている。
メディアというのは、表で発信される内容と、裏の人間(金銭的)関係による忖度面の両面がほぼ必ずある。
なぜか広く社会に普及させる目的で、良いものをみなさまに知っていただきたくて宣伝する行為のどこがわるい?といった様な、宣伝開き直り型正義論が掲げられやすい。これらはたぶん今後も医学健康促進面で容易に結びつくだろう。市場規模が大きく、価値があるならさらに正論化されうる。
単純に今いえることは、医師の位も下がった。プライドがなさすぎるし、身体医学の線引きをあえてせずに、心身両面でみるような従来型のあいまいな医師はもはや落ちていくだろう。この監修者の脳内で明瞭な医学が成立してるとは思わない。健康と経済利益がもっと明るみに出て来る時代が訪れる。格差は広がるだろう。鍼師も技術技量を高級化させ、厚底靴で背伸びするだろう。
彼らは文面やコンテクストがもつ言語の力を侮ってるだろう。テキトーなことばかり書いてると、いつか言語の逆襲にあう。
ご投稿ありがとうございます。
「美容鍼」ですか。初めて耳にしました。
e068
Acu and Mox
鍼灸
http://hari9danjiri.hatenablog.com/entry/2017/01/16/233539
疑似科学的なもの(つまり未だ解明されてない途上科学)への解釈・態度をめぐる問題が垣間見える記事だと思う。
各々の立場(医師なのか、セラピストなのか、針研究者なのか、科学者なのか、ユーザーなのか、療法に賛同的なのか、否定的なのか)での文脈や言葉のニュアンスによって、解釈は大きく異なる。
該当記事テーマは美容に限ってるが、じつのところ、あらゆる主訴に対する針療法についても同様のことが言えそうだ。
『針はミクロレベルの皮膚切開であるから、組織破壊は微々たるレベルであれ生じる。そして、それを修復する過程で自然治癒力がそこに発現し、あらゆる愁訴の改善につながると予想される』
研究する上では、テーマへの切り口と方法論とその限界を知った上で、決められた枠内で科学しなければ実施できないだろう。
上記のような『現段階における専門家による科学的解釈』とかいう物は、全くその線と関連しない、極めて私見に近い浅はかな考えだろうと思う。考えの根拠とも呼べる私論の由来や仮説をせめて示すのは当然のことだ。
研究の現段階ではわかっていない、というよりも、そんなことをどの科学を用いてもわかるはずはないというほうが自明ではないだろうか。こういうことを「専門家の意見」とやらで、あまりにも簡単に述べ過ぎてはいないだろうか。
解明されてないことへの専門家ならば、通常その領域に関しての研究に携わる人間以外は素人と同じだ。だから、解明されていないことを「使って商売するほうの」専門家なのだろう。
彼の記事の視点は興味深い。
ご投稿、情報提供ありがとうございます。
e069
Acu and Mox
鍼灸

集客商売のための宣伝行為の問題も浮上するのだが、あまりにも効果や効用を謳いすぎた「ビギナー向けの東洋医学辞典」なる専門に関する事項を、ネット上でおっぴろげすぎてる傾向も目に付く。
なぜ資格にまつわる診断見立てに必要なツール(道具箱)を、ユーザーへ投げる必要があるのか。わかりやすく説明に努めることと、専門内容すべてを「おっぴろげる」事とは、別物であろう。
あるいは最近のトレンド現象は、SNSを介したセラピスト同業者同士の「友達褒め合い忖度」だ。公私の境目がなくユーザー目線でも学生目線でも、いずれにしても社会で通用する専門家の「業」として見る場合に、かなり見苦しい。
見苦しいがこれも昨今の風潮として認めねばならぬ、そういうものだけが通用する市場へとやがて拡大するだろう。もうこの流れにはおそらく抵抗できない。これらを招いたのは、大学をはじめとする学術研究行為の脆弱さに原因の一旦もある。「科学に寄ればここまでわかった東洋医学」こういうことにラベリング、ブランド性を求めた部分から、そもそもの間違いは始まっていたのだろう。9月末にNHKスペシャルがあるそうだ。大事なのは、話題性インパクトよりか、中身内容だ。いつの時代も変わらないものが、そこには必ずあろう。それなくしてはありえないのだから。
e070
Acu and Mox
鍼灸
「養生」や「健康」に関する微妙な問題
先日、産後クライシスなるものへの(専門家としての一定見解をもつ立場として)鍼灸師からの健康シンポジウムのようなものが開催された件を耳にした。
コンセプトは出産後の夫婦仲に関する、普段互いに言えない言動を吐き出す対話場でもあるらしい。心身の健康にもってこいであるという謳いなのだ。
近年、特に思うことであるが、この資格の業域は一体どこまでなのだ?上記のシンポジウム(多様性の世の中における新たな夫婦の価値観について語る場)と「はり・きゅうに関する業」と、果たして直接何が関係するというのだろうか?ありふれた夫婦仲の、何に鍼灸が介入できようか。それは奢りに近いのではないか。
こういうことを安易に行っていると、厳密な資格がもつ自身の意義を手放すことにしかならないのではないだろうか?また、そういう自負や注意力のない専門家を専門家として世間に立たせて良いのだろうか?
これらは個人的な街や地域の友人夫婦サークルでやればよろしい。全く専門職に関連しないことではないだろうか。リンクを貼る気力さえ失くしてしまった、、、失笑
ご投稿ありがとうございます。
>(多様性の世の中における新たな夫婦の価値観について語る場)と「はり・きゅうに関する業」と、果たして直接何が関係するというのだろうか?
――正当な疑問ですね。主催側がどういう意図で呼んだのかわかりませんが、一見すると全く関係のないようにみえますね。
e071
Acu and Mox
鍼灸
なぜ大学系学術の軽薄さが、業界のチンケな営業活動に発展しうるのか。
ある時代を基に、ラット系自律神経による一定の知見が積み上がった中で、物理的療法を用いるあらゆる療法(マッサ、はり、きゅう等)についての現代医学的解釈&相互理解が始まった。
現在のところ、一長一短は存在するが、この業界でのラット系基礎研究に関しては「爪楊枝」と「ステンレス針」のちがいまでを科学することができない。それらは同じ侵害刺激として扱う。であるから、あくまでも刺激に応答する生理的反応を自律神経ベースで物質データを追っていることになる。
病気モデルのラットにしろ、ラット体の神経を探る上でも、間接的実証するために指標となる物質を定め、それを検証することで、効果を実証できる。それが研究の基本的スタンスだ。
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医学研究がそうであるように、動物系で効果のわかった新薬は、さっそく人間に治験という形で用いられる。針でいうところの「針介入の臨床研究」だ。これらの効果判定はラット系にように緻密な物質成分を追うことが難しい。なぜなら人間に現実的に用いることのできる物質判定や自律神経的指標は限定されるからだ。
現在まで針臨床研究は、一般病院に存在する診断に用いる医学モデルで規定された「疾患者」を募って、大規模に服薬併用の中で針研究を実施する。主に、服薬と鍼療法の組み合わせは、ほとんどの疾患に関して「併用することが望ましい」という結果に至っている。
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ある時代を経て(というよりいくらか政治的に?)伝統的な立場、すなわち古典に依拠する療法を続けて来た者たちをどう意味づけるかが問題の焦点になった。上記のようにすべてを科学化すれば、療法はもっと単純化&合理化することができるし、簡素でマニュアル的ないわゆる「エビデンス針」で一新&台頭できてしまうからだ。それでなくとも古典は独断的で解釈にかなり個人差もある。
そこで伝統系は「日本式」ということを、江戸期医文献から得たある種の知恵から「痛くない緻密繊細な針」というものを掲げ、その存続を主張したのである。経絡紛争、古典主義、古典復興、こういうワードが並ぶものはおよそこの線路だろう。そして漢方の腹診術(これは日本で発展した)などを取り入れ、さらに複雑強固化をめざした。この由来があって、いわゆる「ソフトな日本式針」「中国のようには痛くない針」が確立した。実際には、彼らの多くが0.1mmほどの針刺入(肌から針が立たずに寝るほど、ポロッと取れる)で効果があると主張するのである。
そして、臨床研究上、明確にはデータに上がってこない領域をあえて逆手にとることで「皮膚に触れるか触れぬかで接触するだけであっても針効果が現れている」と、自身らのポロッと落ちることもある繊細な針施術を理論正当化したのだ。
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現在、来院するユーザーの多くは、針に痛さを求めないし、灸に熱さも求めない、しかし症状の完全消失だけは欲する。といったヘンテコな理想を抱く者が多い。単純にいえば理解不足である。かつ、そこに媚態をカモフラージュした慈善精神に溢れた態度で近づき「ダイジョウブデスカ・オコマリデスカ産業」する資格者が後を絶たない。もともと療法自体が痛い時もあるし、熱い時もある。しかし、それらを排除することは自身の療法をもみずから放棄してることに等しいのではないか。患者のためだといって、訴えに寄り添いすぎていれば、お金はとれるかもしれないが、おそらく症状は取れない。取れた気にはなるかもしれないが。
総じて、この資格の業は、今とてもふわふわした実態の中なのだろう。何を良くしているのか、何のためにやっているのか。まるでわからない。そうなってきてしまったようだ。これは終焉の序章なのだろう。あんちょこな復興、復権では生ぬるい。
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Acu and Mox
鍼灸
・針研究とその医学的効果についての注意点
昨今の業界内のトップワードを以下に並べる。
「美容」「不妊」「生殖器障害」(いわゆるEDなど)「精子減少」「痩せるダイエット」「断食東洋医学」「小顔」「夫婦クライシス」
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いくらかの医学論文を添えることで、効果を意味づける場合も少なくないものの。
「美容養生」の分野:サロン的営業の謳いが加速する一方で、本来の医学的効用(慰安的効用ではなく、物質的効果)には不確かさや不明瞭さが残るという事実がある。
「痩せるダイエット」の分野:現代的なライフスタイルでの身体性追求と、古風な健康養生観念とはもともと相容れないだろう。100年前は肥えた女性のほうをグラマラスとして褒め称えたかもしれない。東洋(的)医学がもつ体系の中には、そもそも“痩せるための”言語要素など微塵も存在していないのだということを喚起しておきたい。
また耳ツボなるものが営業や学会の壇上にあがりつつある。痩せるためにシールするという形式のものだ。世界標準的にはツボは耳内(耳介の中)には存在していない。より正確にいえば、資格業の中では、まだ公式認可は成されていない。
「生殖器周辺」の分野:ものすごく単純化すれば、物理的刺激を生殖器周辺に(あるいは仙骨周辺から針をアプローチ刺入)くわえるのだろう。研究ではありとあらゆる物質を一定効果を示すため指標とするのであろうが、どこかの風営グッズと原理的には変わらないのだろう…物理刺激によって単純膨張するのだ。自律神経系にダイレクトシグナルをうながす効果であるとは極めて考えにくい。
膀胱を例にすればわかるように、構造上自律神経の支配を(生理学教科書が強調する程には)大きく受けていない。むしろ器官自体は単純なバルーン風船構造だ。貯まれば排出する、排出すれば貯める。単純なシシオドシon/off機能だ。器官構造の老朽化までをも、針施術は決してコントロールできないだろう。自律神経がなぜか器官構造をも一定に保つため、さもメンテナンスをおこなっているかのような誤解が学術界隈でも蔓延してる。(そういう専門家も割と多いはずだ)これは心身医学に関わる人間の陥りやすい“思考の癖”だろうと思う。あまりに心身系にたいして自律神経への信頼を寄せすぎている。
おそらく生殖器官に関する神経機構も同様で、心身に影響をつよく及ぼす障害だととらえ、もし神経系に沿ってそれらが緻密に器官をコントロールしていたらば自律神経のほうがすでに疲弊するに決まっている。
要するに私たちは心身医学(自律神経系医学、心と身体はつながっています)をえらく飛躍させて実験してきてしまった面がそっくり忘れられているのだ。
そこには人体の神秘があるかもしれないが、それと同等にグレーゾーンもカオスも多いことを忘れてはならないだろう。ホメオスタシスは生理学上重要な機構かもしれないが、あえて重箱をつつかせないような書き方がされているのが現状だ。
昨今は「針効果をかかげるため」に研究が整備されるような面さえもある。答えがわかりきっている研究をおこなうほど、無意味で役に立たないものはない。21世紀の論文ファクトはすでにコンテクストの中のみ存在するだろう。それは数値でもなければ画像でもない。論文はやがて文脈解釈学へとシフトするにちがいない。数値データや仮説には、ファクトは存在しない。むしろ数値データの“書き方”“見せ方”にこそファクトがある時代に変わった。中身もいくらでも容易にいじくれる。これが「疑似科学」の帰結だ。
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baroyan
鍼灸
臨床歴32年の鍼灸師です。(元、某大学病院外科Ns)
独自で脈と生体反応を観察しながら数年前に辿り着いたのが、偶然に「岡本一抱子の難経解釈」に近く、結果、数段に効果はUP。科を問わず守備範囲は広く、西洋医学の課題を可成り補佐出来る様に感じてます。
古典治療やテイ鍼法の疑問を散見しますので、私共の一臨床法を簡単にご報告します。
全て脈診と生体反応から導き、全身状態は、脈状・脈象がベース。
 施術に用いるもの
  1)鍼の材質と種類、手法
    トナカイの角を用いた非接触のテイ鍼法で、補法のみ。
    抜針は、脈所見から患者さんの呼気・吸気で行う。
1回の施術で身体は刻々と変わります。18分間後に胃の気    の脈が十分であれば終了し、不十分であれば施術回数を重    ねます。
    (陰陽の特徴からトナカイを選択。気の治療で同時に血を     調整)
  2)五臓の色体表を応用し、中心とする黄色(脾土)の色紙で    形・五臓の脈(陽不足)は成数の枚数を準備。
    但し、陰実・陽虚の脈は観察結果から枚数は成数にプラ     ス。
 取穴部位
  陽池1穴のみ(右又は左のみ。部位は標準よりずれている)
   (標準部位の陽池では脈状や生体の改善が弱い)
治効
 胃の気の脈がグッと強まると、急性・慢性炎症の改善や癌の腫瘍 などでも観察可能な縮小など即効性あり。
 脛骨剥離骨折では1週間後には骨癒合の所見をX線で確認など、 鎮痛だけでなく幅広い効能が認められます。
課題
1)陽池穴の影響と部位の再考 
   脈が柔らかくなる部位にとると、誰が触っても同じ反応で    す。
   解明できると鍼灸界の大きな前進になるかと思います。 
2)用いる材質の選択がどういう機序で刺激となっているのか?
   生体への刺激は、刺す鍼だけと言えるのか?
   刺さなくても被験者にとって身体の寒熱が取れ気持ちよく、   更に症状が消失する現象から、何らかの体内刺激となって生   体に影響を与えているかと思われます。
    (現時点では、古典の気を動かして血も調整するとしか言     いようが有りません)
先生方の研究の足掛かりになってくれる事を期待してます。
ご投稿ありがとうございます。
専門的な情報提供感謝いたします。
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Acu and Mox
鍼灸
どうやらアブストラクトのみ読めば、ある疾患群に対して、服薬を一切介さない、通常針と偽針だけによる効果の検討比較が実施されたようだ。結果も前向きなものであった。大規模な実験ではないものの、今後兆しのような位置づけになるであろう。
批判としては、内科、外科、といった医学専門各科と、巷での一般鍼資格との隔たりは広がる一方だ。病院の専門外来に来る特殊疾患者は、ほぼ鍼灸院には来ないと言っていい。
各病院や研究機関を介す針研究者らの、自分たちだけの巣内だけでの栄光話で終始してしまいやすいことだけが悔やまれる。
現実問題として、そのような研究領域での医学的知識が、研究実施者らに『特権化』してしまってることだ。自分達でさえ、医者、医学者に媚びつつ研究している身であろうに…。素人のような知識を充分に蓄えていない一般鍼師をよせつけないある種の風潮を帯びてしまう。実施してる手技は、ほぼ同等であるというのに。まだまだ研究者には、天狗様も多いのだろう。同じ人間の手で、他の人間の皮膚に刺してる、ステンレス性の極細な針なことは、全く同じだというのに。
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Acu and Mox
鍼灸
事実解釈は、コンテンツに依拠するという面から見れば、肯定側の言説は甘いと言わざるを得ない。
問題は「何もしない治療的誘導トリックと変わらないじゃないか」といった指摘が外野からある時に、そこにどのような言説を与えることが可能であるかだけであろう。
そのようなときに、針業界で科学だけに寄って来た者は治療文化の面や実践奉仕活動に目を向けるだろうし。漢文書にばかり目をこらしてきた者は、無知であった科学性について吟味する機会を与えられることだろう。
疑似科学とは、科学と非科学的迷信とを仲介「しようとする」、「自身の意思を持った」科学のことである。
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kassy
評定依頼・情報提供のページ
私は鍼灸師ですが、鍼灸自体は臨床試験の方法に工夫が必要であると思っています。ダブルブラインドができないし、治療者の技術の上下が大きく、鍼灸も多種多様なやり方があり過ぎるためです。
オステオパシーについてよく知りたいです。アメリカでは教育制度があると聞いていますが、エビデンスはあるのでしょうか?
kassy様
ご投稿ありがとうございます。
「オステオパシー」を評定依頼に追加させていただきます。
鍼灸につきましては、kassy様のおっしゃられた通りだと思います。ただ、仮にkassy様のようなお考えが鍼灸界全体の総意であれば、少なくとも「将来性」といいますか、社会への「応用性」の面では鍼灸の見通しは、やはりそれほど暗くはないかと思います。