第4回サイエンスカフェ 2014/11/29(土)
「なぜ疑似科学を信じるのか」(話題提供:菊池 聡)
明治大学駿河台キャンパス14:00~17:00
私たちはなぜ、科学的根拠も十分でない疑似科学を信じてしまうのでしょうか。放送大学で「錯覚の科学」を講じている菊池聡先生に、その認知的錯覚の実態と背景をお話しいただきます。
例として取りあげるのは、素朴な「虫のしらせ」「夢枕に立つ」
といった直接・間接体験から形成される超常信念です。
声:超常信念って思い込みってこと?
他にも、わかりやすい例として「地震の宏観異常現象」も時間があればデータとともに触れてみます。
声:宏観って地震にだけどうして使うんだろう?
これらが、実際に正しい(実在する)のか、という観点では無く、それを信じる心の働きを心理学から考えます。
これらを通して、適切なクリティカル・シンキング(批判的思考)や科学的思考のありかたについて、参加者の皆さんと一緒に議論していく予定です。
第4回 開催報告
「なぜ疑似科学を信じるのか」
当日の講演会のまとめです。
- 1.超常現象を信じている高校生は、女子のほうが男子よりやや多い。項目ごとに差は見られるが、総じて4割前後の高校生が信じていると言える。
- 2.そうした超常信奉は多岐にわたっているが、平面上に整理・分類できる。実際の信念ではこれらが複合しているのがふつうだが、縦軸は、自分で推論して信じるものから他人から情報提供されて信じるものまでを表わし、横軸は、個人的に素朴に信じるものから社会集団において体系的に信じるものまでを表わしている。
- 3.では、なぜ信じるに至るのかを調べると、よく考えていないというよりも、経験の影響力が最も大きい。たとえば、血液型性格占いを信じる中学生は、信じていない中学生に比べて圧倒的に高い割合でよく当たった経験をしている。また、その信じる中学生の「科学に対する関心」もそれなりに高い。
- 4.だが、経験にもとづいて信じると、誤認識を招くおそれがある。しっかり「随伴性の判断」をしなければならない。頻度を調べてΔPが十分に大きければ、信じてもよいのだが。。。
- 5.実態は、雨乞いをするというパフォーマンスを目のあたりにすれば、実際に雨が降ったときばかりが記憶に残る。雨が降るだろうと確信することが、記憶の偏り(バイアス)を起こすのである。その結果、左上のAの頻度ばかりが高く感じられて相関関係が誤認される。
- 6.正夢の場合も同じである。「事故を目撃したときにそういえば昨日事故の夢を見た」と思い出すのである。事故が起きない夢を見るのは普通なので、その回数が多くても気がつかない。そのため、Aばかりが総体的に多く見なされるのだ。
- 7.こうして、左上のように、正夢などが「あるかも」といったん予期されてしまうと、その仮説に合う事例が強く認識されて、経験を通して仮説が実証されたように確信し、信念をますます深めてしまうのである。
- 8.だから、3つの「た」をつなぐ「三た」論法は危険なのだ。民間療法を行なっ「た」ら、治っ「た」、だから効き目があっ「た」のだ、と思ってはいけない。
- 9.体調は自然に良くも悪くもなる。悪い時に民間療法を試して治ったとしても、自然に治癒した可能性はかなり高い。
- 10.自分の経験を通して考えていたとしても、人間は一般に、否定的なところに注意が向かないので、偏った結論を導きがちなのである。必ず四分割表を書いて考える習慣をつけよう。
- 11.「科学」と称されていても、上のような認知にまつわる落とし穴を回避する努力をしない分野は「疑似科学」である。経験にもとづいて確信したもののじつは誤解をしている人が集合し、相互にますます誤解を深めるわけである。
- 12.左側のような、自分の確信に有利になる人間にとって自然な思考のありかたをなるべく排除し、右側のような、科学が培ってきた懐疑の思考をするよう皆で努力しよう。
一般参加者:14名 オブザーバー:4名
講師紹介
菊池 聡
信州大学教授 埼玉県生まれ。
京都大学教育学部卒、京都大学大学院教育学研究科博士課程退学。
専門は認知心理学、文化情報論。
疑似科学などに現れる人の思考の特徴を明らかにし、それを実践的な批判的思考力や情報表現力の向上につなげる研究に取り組んでいる。
主要著書に 『なぜ疑似科学を信じるのか』、 『錯覚の科学 』、 『超常現象をなぜ信じるのか』、 『「自分だまし」の心理学』など
図書紹介