運(ツキ)(Luck)
日常生活では、よく幸運や不運があると言います。幸運のときは「ツキがある」とか、不運のときは「スランプだ」とかと言って、運の流れを意識することもあります。神社に行くと、開運のお守りなども売られています。科学的に考察すると、それらは偶然の変動を運と捉えているにすぎないことがほとんどです。偶然の変動では、規則正しく良いことと悪いことが起きるのではありません。
不規則に、ときには良いことが多く集中したり、悪いことが多く集中したりします。悪いことが集中したすぐ後に、また悪いことが起きると「スランプだから」と判断するし、こんどは良いことが起きると「スランプを脱した」と判断します。このような後づけの説明では、何が起きても運の流れが起きていることになります。
たとえば、野球の試合で力が互角の相手と戦うとしましょう。勝つも負けるも五分五分(引き分けはないとします)のとき、次のような勝ち(白丸)と負け(黒丸)が比較的続く対戦結果が起きることは少なくありません。
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どちらかの勝ちが偶然に5回続くことは16分の1の確率ですので、100回対戦したら、その5回続く勝ち(あるいは負け)が100回のあいだに5回起きてもおかしくない計算になります。上の例で「次の15回目の対戦をしたときに、勝つでしょうか負けるでしょうか」と聞かれたらどうでしょう。「今はスランプだから負ける」とか、「そろそろスランプを脱しそうだから勝つ」とかと答える人が多いようですが、科学的には、「五分五分の偶然だからわからない」と答えるべきなのです。
人間は質問されるとパターンを探して、それを答える傾向が強いのです。それこそが科学する心の源なのですが、過度に発揮すると、疑似科学のはじまりになってしまいます。「わからない」と答えることも科学的なのです。